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オリオンズ(裏)図書室マガジン【月額定額300円】

世に出ている資料の他、手元に眠っている表に出ていない資料に加え、毎日オンズ時代からファンだった父の日記、そして関係者から見聞きした情報(オリオンズメモ(笑))を中心に「ロッテオリ…
【2023年1月から毎日午前8時更新!】 週5本ペースで毎日オリオンズからロッテオリオンズまでの歴…
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#落合博満

《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/「6」落合が生んだ打線主軸の系譜】

(写真 左上から・初代6を背負った河内卓司、大映から移籍2年在籍した3代佐々木信也、日本一に貢献9代千田啓介、中央・3度の3冠王10代落合博満、右上から・ミスターマリーンズ12代初芝清、選手から監督としてチームを引っ張った13代井口資仁) ※名前横の【殿堂】は野球殿堂入りしている選手、【サイン】はサインが掲出されています(クリックで拡大) (6)「6」落合が生んだ打線主軸の系譜  オリオンズ時代の背番号6は、球団創設年の河内卓司以来、佐々木信也、荒川博、千田啓介と職人肌

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【ロッテ球団73年考察/(29)-打者-「四球と敬遠」73シーズン歴代ベスト10】

(’写真 シーズン四球数球団記録のボーリック。ただ一人3ケタを記録している) (29)(打者編)「四球と敬遠」73シーズン歴代ベスト10  今回は「四球と敬遠」のロッテ73シーズンのランキング。  チームの試合数と延長の固定化により2000年代が並ぶが、個人記録はマリーンズとオリオンズ時代の名前が連なる。また、シーズン敬遠ランキングではオリオンズ歴代4番打者の名前が並ぶ。 【チームシーズン四球(敬遠含む)数 ベスト10】 ★1位…573四球-2- 2001(平成13)

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《有料、冒頭試読》【ロッテ球団73年考察/(25) -打者-「塁打数と長打率」73シーズン歴代ベスト10】

(写真 シーズン、通算塁打数、通算長打率でトップの落合博満) (25)(打者編)「塁打数と長打率」73シーズン歴代ベスト10  今回は打者の長打力の指標である「塁打数と長打率」の73シーズンを考察する。  塁打数は安打を1として二塁打を2、三塁打を3、本塁打を4として集計した数字。その塁打数を打数で割った数字が長打率となる。長打いわゆる「長距離打者」の一つの指標となる。  まずはチームの塁打数のランキングから。 【チーム 歴代シーズン塁打数 ベスト10】 ★1位…21

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《有料、冒頭試読》【ロッテ球団73年考察/(15)(打者編)「出塁率」73シーズン歴代ベスト10】

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(写真)歴代通算出塁率、左・4000打席以上でトップの山内一弘監督、右・3000打席以上でトップの落合博満(落合入団会見から) (15)(打者編)「出塁率」73シーズン歴代ベスト10  タイトルの一つである出塁率。打率が四死球と犠打、犠飛を除いた打数に対する安打数の割合に対して、安打数と四死球を含めた出塁を図る率として算出される。2リーグ制創設直後はタイトルとして表彰されていなかったが、1962(昭和37)年からタイトルとして表彰されている。  まずは、そのタイトル「最高

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《有料、冒頭試読》【ロッテ球団73年考察/(23)-打者-「得点」73シーズン歴代ベスト10】

(写真 球団創設年の1950(昭和25)年に「16試合連続得点」を記録した呉昌征。2001年まで50年間日本記録だった) (23)(打者編)「得点」73シーズン歴代ベスト10  今回は「得点」に関する73シーズンの考察。  球団初年度の1950(昭和25)年、圧勝してパ・リーグ初代王者に輝いたが、この時のシーズン得点数は713得点。これはパ・リーグ記録、球団記録として長らく残った記録だった。ただ、このシーズンのセ・リーグの覇者松竹は908得点と毎日を上回る得点数だった。こ

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《有料、冒頭試読》【ロッテ球団73年考察/(13)-打者-「打点」73シーズン歴代ベスト10】

(写真 球団史上唯一チームシーズン700打点超えの2005年シーズン打点ベスト3、左からイスンヨプ、フランコ、福浦和也) (13)(打者編)「打点」73シーズン歴代ベスト10  打撃三冠のもう一つのタイトルが打点。打率、本塁打と比べ、一人では結果が出せない記録であり、勝負強い打者の前に走者が必要なだけに、チームの強さとチーム貢献が図れる数字だ。  パ・リーグ創設年の二冠王・別当薫から12年間で7度獲得した創設期のオリオンズの牙城ともいえるタイトルだった。  まずは、チーム

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《有料、冒頭試読》【73年考察/(11)(打者編)「本塁打 個人記録」の73シーズン考察】

(写真 ロッテ「ホカロン」のCMに出演した歴代通算本塁打1位の有藤道世(左)とシーズン本塁打球団記録の落合博満(右)) (11)(打者編)「本塁打 -2- 個人記録」の73シーズンベスト10  前回の本塁打球団記録に続き、今回は本塁打の個人記録編。  まずは本塁打王のタイトル獲得者と、一つの目安として「30本塁打」を記録した打者をリストアップ(この項最後に20本塁打打者一覧を記載)。 【本塁打王と30本塁打以上打者一覧】 ★1950(昭和25)年…【本塁打王】別当  

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《有料、冒頭試読》【73年考察/(6)-打者-「打率」首位打者&73シーズン打率ベスト10】

(写真 歴代複数回首位打者を獲得した3選手。左から2度・榎本喜八、5度・落合博満、2度・角中勝也) (6)(打者編)「打率」首位打者&73シーズン打率ベスト10  まず、面白いランキングを紹介したい、現12球団の通算した打率ランキングだ。当然、巨人、阪神、オリックス、中日はNPB創成期からの球団であり。オリオンズ&マリーンズは戦後の新しい球団となるが、試合数に関わらず、これまでの通算打数と安打数から打率を算出した記録である。 【球団通算打率ランキング】 1位…ロッテ 

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【全史】第19章 稲尾退任と落合放出/1986(昭和61)年

(1)熾烈な外野争い  稲尾監督はキャンプインを前に、レギュラー争いが激化しそうな外野陣に言及した。 「実力第一主義でいくがウチの外野陣は駒が豊富で、レギュラーを決める前に誰を一軍に残すかで頭を悩ますよ」。 まさに、嬉しい悲鳴だ。  前年までの実績ならば、レフト・有藤、センター・高沢、そして、前年ルーキーながら3割を記録したライト・横田という布陣になるだろう。しかし、有藤は今シーズン40歳。自身も「代打でも」という気持ちでいる。稲尾監督も「ウチは実力主義。それは有藤も例外で

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【全史】第18章 2年連続2位も独走許す/1985(昭和60)年

(1)落合ノースイングと復活期す村田  前年に引き続き、今シーズンも首位と2位が5ゲーム差以内ならばプレーオフを実施するというペナントレースとなる。  2月1日からスタートした鹿児島キャンプでは落合に異変が起きていた。バットを全く振らない調整を行っていた。キャンプ前、落合は醍醐コーチに「下半身が出来るまで、バットを振らない」と申し出た。当然、醍醐コーチは反対。稲尾監督に報告したが、稲尾監督の「好きにやらせよう」という判断で落合流の調整にGОサインを出した。有藤も「『振らな

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【全史】第17章 稲尾采配、チームを再覚/1984(昭和59)年

(1)管理野球に対抗、稲尾丸の放任主義  始動は1月10日、川崎球場での自主トレーニングだった。稲尾新監督の始動という事もあり、ほとんどの選手が参加した。前年、渡米してヒジにメスを入れた村田もリハビリ段階ながら参加した。そして12日、稲尾監督は全選手を集めて訓示した。 「アルコール、麻雀、ゴルフ、全てOK。ただし陽気にそして程々に」 細い目をさらに細めて笑顔で話した。報道陣に囲まれると「放任主義?そう思ってもらって結構です。ここ3年ほどでロッテには暗いイメージが付いてしまっ

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【全史】第16章 12球団最後の最下位/1983(昭和58)年

(1)キャンプ中の衝撃、レオンのトレード  冒頭、いきなりこのシーズンの結果を記すことになることをご了承頂きたい。それだけ、我々オリオンズファンにとっては、1988(昭和63)年が、今でも思い出したくないほど、悔しい思いをしたシーズンだったからだ。  1950(昭和25)年に2リーグ制となって以降、パ・リーグで最下位に落ちたことがない球団はオリオンズだけだった。セ・リーグは長らく読売と阪神が最下位に落ちたことがなかったが、1975(昭和50)年に読売が、1978(昭和53

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【全史】第15章 オリオンズ沈下への序章/1982(昭和57)年

(1)山本一義丸、かみ合わない歯車  1月12日、川崎球場で若手中心の合同自主トレーニングがスタート。20日から主力も加わった。山本新監督は「激しさをグラウンドに叩きつける『エキサイティングベースボール』」をテーマに掲げ、徹底した体作りと基礎技術の向上を目標とした。  2月1日、恒例の川崎大師参拝を終え、主力バッテリーは鹿児島県指宿市へ移動し2日にキャンプイン。本体は9日まで川崎で一次キャンプを行い、10日に鹿児島に移動した。ところが、前日9日に羽田沖で起きた墜落事故の影響

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【全史】第14章 山内体制で前期連覇/1781(昭和56)年

(1)「愛甲フィーバー」で幕開け  1月15日から川崎球場で始まった若手トレーニングが始まったが、様相が一変していた。前年のドラフト1位で指名した前年甲子園優勝投手の愛甲猛が入団し、スタンドには多くのファンが詰めかけた。アイドル並みの大フィーバーの幕開けだった。走っても、投げてもスタンドからは黄色い声援。川崎球場に移転して初めての光景だった。20日から主力も加わり、さらに熱くなった。  2月1日、恒例の「川崎大師」への参拝を済ませ、主力バッテリーは鹿児島県指宿市へ移動し、

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