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オリオンズ(裏)図書室マガジン【月額定額300円】

世に出ている資料の他、手元に眠っている表に出ていない資料に加え、毎日オンズ時代からファンだった父の日記、そして関係者から見聞きした情報(オリオンズメモ(笑))を中心に「ロッテオリ…
【2023年1月から毎日午前8時更新!】 週5本ペースで毎日オリオンズからロッテオリオンズまでの歴…
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2023年12月の記事一覧

《シリーズ最終話》(番外編4)【マリーンズ略史 92~05/-83- 2002年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録】

(写真 防御率1点台&勝率9割台の2リーグ制後2人目となる記録した成瀬善久(左)、2人目の13球団から本塁打を記録したズレータ) (83)2007年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録  【開幕戦から2試合連続引き分け】※NPB2度目  開幕戦となった3月24日の日本ハム1回戦(千葉マリン)は6回裏にズレータの満塁弾で追いつき、直後の7回表二死で降雨コールドで引き分けた。翌25日の2回戦は0-0で延長に突入したが、決着が出来ず引き分けた。  開幕戦から同一カードで

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(番外編3)《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-82- 2007年 ベテランと新戦力かみ合い2位へ】

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(82)ベテランと新戦力かみ合い2位へ  【2007年スローガン『All Hands to The Flag! 〜結束、フラッグのために〜』】  【開幕前評価】  3年目を迎える交流戦が試合減少する。各球団とホーム・ロード3試合だったが今シーズンから2試合となり、総試合数が36試合から24試合となる。  日本一から4位に転落した前年だったが、WBCの影響やケガ人が続出したことを挙げ、戦力的には充実度は高いという評価は多かった。特にベニーの離脱で課題となった長距離砲に

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《全文無料》(番外編2)【マリーンズ略史 92~05/-81- 2006年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録】

(写真 左から、青野毅、小林雅英、渡辺俊介) (番外編2)(81)2006年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録  2006年は交流戦で連覇を果たしたものの、チームは4位に沈んだシーズン。ただ、記録的には様々な新記録、珍記録が生まれたシーズンでもあった。  【里崎、1試合5三振】※NPBタイ  5月2日のソフトバンク5回戦(ヤフーD)で4番DHに入った里崎が、1、3、5、7、8回の5打席で三振を喫し、1試合5三振のNPBタイを記録した。NPB12人目、パ・リーグ

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《有料・冒頭無料》番外【マリーンズ略史 92~05/-80- 2006年 第1回WBCにM8戦士出場も4位に終わる】

(写真 左・マリンスタジアムに展示されたWBC優勝トロフィー、選手写真上左から清水直、渡辺俊、藤田、下左から今江、西岡、里崎) (80)第1回WBCにM8戦士出場も夏場失速で4位に終わる  【2006年スローガン『Let us do it again 〜もう一度夢をみんなで〜』】  【第1回WBC開催、M8戦士参加で初制覇!】  開幕前の3月に第1回WBCが開催されることになり、日本代表に前年日本一に輝いたマリーンズから最多選手が選出されることは必然だった。投手では千

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《全文無料》【マリーンズ略史 92~05/-79- 2002年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録】

(写真 左からネイサン・ミンチー、喜多隆志、清水直行、小林雅英) (79)2002年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録  開幕から11連敗を喫した苦しいシーズンだった。それでも、徐々に取り返していった。記録は少なかったが、小林雅英がセーブ、セーブポイントの連続記録を打ち立て、記憶に残るシーズンだった。  【強風で試合中止】※3度目  4月17日に予定されていた西武5回戦(千葉マリン)が「強風」のために中止となった。  強風中止は1995年4月23日、1997年

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《全文無料》【マリーンズ略史 92~05/-78- ファーム初の日本一(2005年)】

(78)ファーム初の日本一(2005年)  2005年、プレーオフを制しリーグ優勝、日本一になった歓喜の裏で、一足早く初めて「ファーム日本選手権」に出場したマリーンズのファームが日本一になったことを覚えているファンも多いと思う。  10月8日、古賀監督の下、イースタン・リーグで優勝したマリーンズは、神戸で一軍が日本シリーズで戦うことになる阪神のファームと、ファームの日本一を賭けて戦った。  【9年ぶり7度目のイースタン制覇】  イースタン・リーグがスタートしたのは195

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《全文無料》【マリーンズ略史 92~05/-80- 2001年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録】

(80)2001年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録  2001年は各種記録も少なく、トピックスも少ないシーズンだった。小林雅、ボーリック、ミンチーと主力3選手。そして、ボーリックとメイが30本塁打を記録したシーズンだった。  【小林雅、12連続セーブ】※リーグ新記録  6月20日のオリックス13回戦(神戸)で0回に4番手として登板した小林雅が3人で抑え、今シーズン20セーブに到達。これで、11連続セーブとしてリーグ新記録を達成した。小林雅は30日のダイエー1

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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-76- 投手陣成長を裏で支えた捕手・清水将海】

(76)投手陣成長を裏で支えた捕手・清水将海 (1997年~2004年在籍)  マリーンズは低迷期が続いたが、その要因の一つが捕手が固定出来なかったことだ。捕手には巧みなインサイドワークが投手陣の安定につながるが、やはり打席に立つ以上、一定の打撃力も必要になる。  1997年に衝撃的なデビューを果たしてファンから「やっとキャッチャーが出て来た」と安堵した気持ちは今でも忘れがたい。安定したインサイドワークは成長を続け、投手陣からも信頼を得て投手陣が安定した裏には、間違いなく

《全文無料》【マリーンズ略史 92~05/-75- 2000年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録】

(75)2000年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録  山本功児監督2年目の2000年。前年は開幕から好調をキープして七夕首位に立ったが、このシーズンは開幕ダッシュに失敗。記録的な負け越しを喫した。また、投手起用でいくつか記録があった。  その他、移籍して4番に入った石井浩朗をはじめ、主力選手が骨折して離脱するシーズンだった。  【20試合のリーグワースト勝率】※リーグタイ記録  開幕ダッシュに失敗。シーズン20試合目となる4月28日の西武戦(西武D)に2-5

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《有料・冒頭試読》 【マリーンズ略史 92~05/-74- ケガに苦しんだ現役生活・大塚明】

(74)ケガに苦しんだ現役生活・大塚明 (1994年~2010年在籍)  2001年のオールスター期間の練習中だった。山本功児監督は打線の理想像について口にした。「コーチとして、監督として長年見てきたが、福浦、大塚、立川の3人はクリーンアップを組める力は持っている。3番に足があって堅実な大塚、4番に確実性の福浦、5番に一発がある立川。6、7番に外人、1、2、9番に小坂、諸積、セカンドにサブローを入れて状態によって入れ替える。打線が看板のチームになるんだがな」。  1993

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《全文無料》【マリーンズ略史 92~05/-73- 1999年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録】

(写真 左から・初本塁打ボーリックを迎える、礒恒之、寺村友和) (73)1999年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録  1999年は「七夕首位」「ボーリック神話」と派手な出来事が多かったが、記録的には目立った項目が少なかった。  そこで、付録的に1999年に発生した「珍事」をピックアップしておきたい。  ⇒「七夕首位」については『(28)《全文無料》18年ぶり首位「七夕の歓喜」狂騒曲(1999年)』  ⇒「ボーリック神話」については『(38)《全文無料》前半快

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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-72- つなぎの4番の軌跡・サブロー】

(72)つなぎの4番の軌跡・サブロー (1995年~2011年、2012年~2016年在籍)  打線を長きにわたって支えたサブロー。その数字の多くは2006年以降も続いたが、頭角を現し「つなぎの4番」と呼ばれた4番に座り、チームを日本一に導いたのは11年目の2005年だった。  ルーキー時代から将来の打線の核にと期待されながら、ケガでなかなか定着できない時代も続いたが、最終的に22年間マリーンズの看板を背負った。今回はサブローの入団から2005年までの記憶を辿る。  【

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