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オリオンズ(裏)図書室マガジン【月額定額300円】

世に出ている資料の他、手元に眠っている表に出ていない資料に加え、毎日オンズ時代からファンだった父の日記、そして関係者から見聞きした情報(オリオンズメモ(笑))を中心に「ロッテオリ…
【2023年1月から毎日午前8時更新!】 週5本ペースで毎日オリオンズからロッテオリオンズまでの歴…
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2022年10月の記事一覧

【全史】第5章 東京球場のロッテオリオンズ/1971(昭和46)年~1972(昭和47)年)

(1)1971(昭和46)年 スコアボードが止まった  永田雅一は、リーグ優勝を置き土産に、矢折れ力尽きた。5年間の約束の「名義貸し」だったが、2年で永田は球団経営からの撤退を決意した。永田は重光に球団を引き受けてくれる様、哀願した。  重光は黙って引き受けた。永田の気持ちを慮っての重光の決断だったが、経営上の判断もあったと思われる。実際に2年間球団を持ち効果を感じていたはずだ。宣伝広告費から換算すると、格安の買物だったはずだ。毎日大映球団の累積赤字12億円(すでに半分は

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【全史】第4章 「永田ラッパ」の終焉と救世主の登場/1969(昭和44)

(1)1969(昭和44)年 救世主現る。永田の要望を受け入れたロッテの事情  1969(昭和44)年1月。重光武雄ロッテ社長は、岸信介元首相に呼び出された。要件の見当はついていた。前年末に「永田を助けてやってくれないか」と毎日大映球団(東京オリオンズ)のスポンサーとしての支援を幾度となく要請されていたが、重光は断りを入れていたからだ。  部屋に入ると、この日は永田雅一も同席していた。 「重光さん、頼むよ、頼むよ」 「野球はよく知らないから駄目です」  こんな押し問答が何度

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【全史】第3章 オリオンズを愛し、全てを捧げた永田雅一/1961(昭和36)年~1968(昭和43)年

(1)1961(昭和36)年 そして、オリオンズ永田伝説が始まった  1954(昭和29)年から始まったパ・リーグの顛末。1957(昭和32)年の毎日と大毎の合併、1960(昭和35)年のリーグ優勝、日本シリーズの連敗と全体の流れは第1章『毎日オリオンズ」から「大毎オリオンズ」へ』で綴ったので、ここでは省く。ただ、ここまでお読み頂いた読者の皆さんには、永田雅一という人間の「熱血」は、感じてただけたのではないだろうか。  大言壮語、ワンマンさから「永田ラッパ」と呼ばれ、その熱

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【全史】第2章 オリオンズの傍流?本流?「永田ラッパ」/ 1948(昭和23)年~1950(昭和25)年

(1)1948(昭和23)年~1950(昭和25)年 永田雅一の球界登場とゴールドスターの誕生  第1章はオリオンズ史の「本流」である、毎日オリオンズの歴史を辿ったが、オリオンズにはもう一つの「流れ」がある。オリオンズの系譜では「本流に合流した傍流」になるが、ある意味、こちらも「本流」と言えるのかも知れない。  第1章では、毎日新聞側からの視点で記したので、大映社長永田雅一に対して一部は偏った見方になっていたと思うが、この章では、その永田の視点から傍流の歴史を辿ってみたい。

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