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義足の女性パラクライマー、左脚を切断して手に入れたもの

IFSC(国際スポーツクライミング連盟)のホームページで紹介された、日本人の女性パラクライマーのインタビュー記事の翻訳です。小児がんに苦しんだ彼女が、クライミングを通じて知ったのは“人間の可能性”でした。

文:リチャード・アスプランド Richard Aspland


▼その日は、“脚を切断した日”だった

パラスポーツは、常に物語を生み出す。それは、嬉しい物語であったり、悲しい物語であったり、あるいは残酷な物語であったりします。そして、それらの物語には、感動的な結末があるという共通点があります。パラクライミングも例外ではありません。

アメリカのソルトレークシティで2024年5月7日に開催されたIFSC主催のパラクライミングワールドカップ。私は、ちょうどこの日に、誕生日を迎えたひとりの女性クライマーと出会いました。生まれた日という意味の誕生日ではありません。“生まれ変わった日”という意味での誕生日です。

渡邉雅子(マコ)にとって、その日は、“脚を切断した日”でした。

マコは、東京在住の48歳。5歳のとき、左脚に骨肉腫があると診断されて以来、癌とともに生きてきました。私がマコに共感を抱いたのは、私も癌を患ったことがあるからかもしれません。

「5歳のとき、私は化学療法と放射線療法を受けました。両親が脚を残したいと考えたので、左脚の人工骨置換の治療を受けました。私は常に、左脚のことを考えて生きなければなりませんでした。両親の判断にはもちろん感謝しています。しかし、それは、肉体的、精神的な限界を私にもたらしました。年齢を重ねるにつれて、自分は変わる必要があるのではと感じるようになったのです」

▼卵巣癌と診断…限りある人生に悔いを残したくない

そんなマコに、試練と転機が訪れます。

「2018年に卵巣癌と診断されました。それがクライミングを始めようと思った理由でもあります。自分の人生には限りがあると知り、できることはすべてトライしておきたいと思ったのです。しかし…、なんと卵巣癌は誤診であることが判明したのです」

癌の恐怖は去りましたが、クライミングは、マコの興味を引きつけました。

「東京のジムにあるクライミングウォールを見て、もし頂上に到達できたら、何かが見えるかもしれないって思ったんです」

マコは、パラクライミングのコミュニティである、NPO法人「モンキーマジック」に連絡を取りました。モンキーマジックは、クライミングを通じて、視覚障害など、障害のある人々に力を与えることを目的に活動している団体です。

「最初はクライミングに挑戦するのが怖かった。学校の体育の授業以外、スポーツの経験はなかったので。でも、思い切って、イベントに参加させてくださいと連絡をとりました」

▼左足の切断で人生が解放された

そこから、マコの、クライミングを通じた、“めまぐるしいツアー”が始まります。

「2020年、腫瘍の再発や、人工骨が折れる不安から解放されるため、左脚を切断する決意をしました」

私も癌で闘病した経験がありますが、長い間、再発や骨折の恐怖とともに生きてきたマコの苦悩を、完全に想像することはできません。左脚の切断によって、マコの肉体的な負担は大きく軽減されました。しかし、それ以上に大きかったのは、精神的な安堵感を得たことでした。

そして、股関節離断手術を受けた5月7日は、彼女の新しい誕生日となったのです。

彼女は、放射線治療の後遺症で服薬を続けていましたが、その日々は終わりを告げました。歩くための杖も、義足をつけてからは不要になりました。

2019年にクライミングを開始し、2020年に脚を切断したマコは、2021年3月には日本選手権に出場し日本代表に。そして同年9月には、世界選手権に出場するまでになったのです。

マコが、これまでの人生でどんな思いをしてきたのか、私にはわかりません。しかし、確信を持って言えることは、彼女はいま、明るい未来をまっすぐに見つめているということです。

「クライミングは、私の人生に多くの意味をもたらしてくれました。クライミングを通じてたくさんの友人ができたし、新しい世界を経験することができました。クライマーとして、自分自身を成長させることも重要ですが、いま最も大切にしていることは、かつての私と同じような境遇にいる子どもたちのロールモデルになることです。“人は誰しも可能性を持っている”、それを子どもたちに伝えていきたいのです」

(了)


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