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仮面ライダークウガ考 【2】一条薫についての考察

 さて、二番目の考察は、五代雄介のパートナーとも言える、 一条薫について書いてみようと思う。
 彼は、若くして警部補の肩書きを持つ、長野県警の刑事だ。母親は名古屋で看護婦をしており、 父親は、彼と同じく刑事だった。彼が幼い頃、死亡しているのだが、その命日は他でもない彼の誕生日だと 言う。
 番組中でその私生活はまったくと言っていいほど描かれず、最初の頃はあまり笑う事もしなかった。
 私は、彼を見ていると、同じ東映製作の刑事ドラマ「Gメン75」を思い出さずにはいられなかった。
 一見すれば、常に冷静沈着でありながら、その実、胸に熱いものを秘め、悪に敢然と立ち向かって行く、 その姿勢が、どうしても私にあのドラマの刑事たちを彷彿とさせたのだ。
 そして、本来ならば、そのキャラクターはまさに、こう言った特撮ヒーロー物の主人公、ヒーローたるに ふさわしいものだろう。
 だが、彼は「クウガ」において、ヒーローではなかった。
 それは、「1」において考察したような理由の他に、キャラクターの配置転換をはかる事によって、新鮮味を 出そうと言う、製作者側の意図もあったのではないかと思う。
 ちょうど、「ガラスの仮面」の「二人の王女」で、マヤと亜弓が互いのイメージとはまったく正反対の役を 演じることで、読者の興味を煽ると共に、劇中劇にもまた、新鮮味が加わったのと同じようなやり方だ。
 だが、一条もまた、けしてステロタイプなキャラクターではないと思う。
 何より、五代に対する彼の位置付けは、「クウガ」を今までのヒーロー物とは違った存在にするために、とても 重要なものであると思う。
 五代に対する一条の位置付けは、「パートナー」と呼ぶのが一番ふさわしいだろう。
 「相棒」とも「親友」とも微妙に違う。もちろん、どれも対等でなければ成り立たない関係ではある。が、共に 同じ場所に立って、同じ方向を目指す者をさす言葉として「パートナー」が一番しっくり来る感じがするのだ。 また、製作者側にもいくらかは、そう言う意図があって、「一条薫」と言うキャラクターを練り上げたのではない だろうか。
 むろん、今までの仮面ライダーの物語の中にも、彼と近い位置にいるキャラクターは、存在した。
 たとえば、1号ライダーの相棒としての滝和也。時として、2号ライダーが1号ライダーにとっての相棒的存在 だった事もある。またV3でのライダーマン、結城譲二もそうだろう。ストロンガーに対する電波人間タックルもまた しかり。
 ただ、どうにも私には「パートナー」とまで言えるほどヒーローに近い位置にいるキャラクターはいなかったように 思うのだ。
 キャラクターの設定上の相似点で言えば、一条と最も似通っているのは、滝和也だろう。
 滝は、日本人ながら、FBIの捜査官で、ショッカーについての捜査のために日本に来た。そして、1号ライダー 本郷猛と出会うのだ。
 一方、一条は、最初にも書いたように、長野県警の警部補で、未確認生命体の事件で東京の警視庁へ派遣され、 そのまま、特設された未確認生命体対策本部に出向の形でメンバーとなった。五代と出会ったのは、長野の九郎ケ岳遺跡での事で、 五代がクウガとなる瞬間を見届けた人物でもあった。
 この相似は、おそらく「クウガ」の製作者側が、故意に行った事ではないかと思う。言ってみれば、1号ライダー へのオマージュなのだ。
 だが、主人公との関係性はまったく違っていると思う。
 たとえば、滝にとって本郷猛は共に戦う仲間ではあっただろうし、ショッカーを倒すと言う目的は同じだったかも しれない。だが、滝が本郷を事件に巻き込んだわけでもなければ、本郷が滝を事件に巻き込んだわけでもなかった。 むろん、互いにそんな事など思ったこともなかっただろう。彼らは、互いに互いの目的(本郷は自身の運命との戦い であり、滝は職業上の任務)のために、たまたま同じ相手を敵として戦う事になっただけである。
 しかも、滝にとっては(と言うか、当時の特撮番組のヒーロー以外の登場人物にとっては)本郷は、<仮面ライダー> と言う、特殊な存在だった。
 自分たち、普通の人間とは違う、悪の組織と戦う能力を得た超人---彼らにとってのヒーローは、そう言う認識だった のである。
 だから、彼らは変身した本郷や一文字隼人や風見志郎を、『仮面ライダー』とか『V3』とか呼ぶのである。 (もちろん、主な視聴者である子供たちにわかりやすく、覚えやすいようにとの配慮もそこにはあるのだが)
 そして、いざ、敵の怪人との戦い、となるとライダーたちの邪魔にならないように、彼らは脇へどく。時には、捕まって、 人質となりライダーたちに余計な手間(笑)をかけさせる者もいるにはいるが、これは、物語上そう言う盛り上がりが必要な 時に限られる。
 むろんそれは、物語としてだけではなく、たとえば、時代劇などで多く取り入れられている、歌舞伎の大立ち回りの要素 から来るものだろうし、主役をより目立たせ、かっこよく見せると言う効果もある。
 しかしながら、それらの演出上の配慮が、キャラクターの位置関係として見た時、ヒーローとその他の人々との間に、 くっきりと線引きをする事にもなっているのだ。
 ところが、五代と一条の間には、それがない。
 むしろ、一条の存在がより「五代雄介」と言うキャラクターの輪郭を際立たせる役目を果たしているのだとも言える。
 一条は、当初、五代に対して、クウガとなったからと言って「君が戦う必要はない」と告げている。その後も、何かと 事件に関わろうとする五代に対して、関わるなと警告を続けている。それはむろん、民間人である五代の介入を快く思わな かったからではなく、「たまたま戦う力を得た」だけの民間人の運命を縛りたくなかったからではないか、と思うのだ。
 だが、その一方で、五代が何かむちゃをしはしないかと、ひやひやしている彼がいる。ひやひやするあまり、自分が とんでもなくむちゃな事をしていれば、世話はないと思うのだが(笑)彼にとっては、刑事である自分が事件に関わって 怪我をするのは、当然のこと、でしかないのだろう。
 だが、このあたりのエピソードを見てもわかる通り、一条にとって、五代は特殊なヒーローなどではなく、一個の人間で あり、しかも、あっと言う間に心の中にかなり大きな位置を占める存在になってしまったようである。
 そうして、だからこそ、五代が本気で戦うつもりである事を知って、警察の最新メカであるトライチェイサーを彼に (上層部には無断で)与え、協力してしまった後も、戦いに巻き込んでしまった事を後悔しているのだ。
 そのあたりは、病院で、友人である椿医師に漏らした「五代が早く、俺から離れられればいい」と言う意味の言葉や、 48話の「すまない。君には余計な回り道をさせてしまった」と言う言葉に如実に現れていると思う。

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