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異世界転生は令和風の末法・来世思想?

先日、なんとな~く異世界転生もののアニメのことなど考えていて、あれ? これって昔の末法思想と似てなくね? と思ったりしまして……本日は、その単純な連想を、ここに書き連ねてみようかと思います。

まず、末法・来世思想とはなんぞや? ということですが、上記のリンク先を見ていただくと、わかりやすいのではないかと思います。
簡単に言うと、災害や疫病が起こって人の暮らしが苦しいものになった時代に、「今は末法の世である」と偉いお坊さんたちが言い、生きている間に良いことをすれば、次の世(生まれ変わった先)で幸せになれると説いたと。そして、多くの人々はそれを信じて、毎日祈ったりお寺にお布施をしたりした――というような感じです。

一方、もはやファンタジーの一大ジャンルとなった異世界転生ものも、おそらく初期に書かれたものは、似た感じだと思うのですね。
たとえば『無職転生~異世界行ったら本気出す~』は、現世でひきこもりだった男性が、異世界に転生して別人として生きて行くお話ですが……現世でのトラウマを異世界の人生で解消したり、現世での出来事を教訓に異世界での問題を解決したりして行きます。

そもそもこの男性、ひきこもりになった原因が学生時代の壮絶ないじめによるもので、異世界でルーデウス・グレイラットとして転生したあとも、外に出ることができないというトラウマを、ひそかに抱えていたりしました。
ですが彼は、師匠と共に外に出ることでそれを解消。その後も、恋をしたり友を得たり、あるいは妻子を得たりと、現世ではまったく体験できなかった人生を体験して、最後はごく普通に年取って死んで行くようです。
それはいわば、彼がいじめのせいで現世では体験できなかった、本来あったかもしれない人生の数々です。
もちろん、こういった趣旨の作品ばかりではないですが、「前世でひどい人生を送って死んで、転生後に本来得られるはずだっただろう人生を送る」といった形の異世界転生ものは、それなりにあるように思います。

異世界転生ものが流行り出したころ、時に言われたのは、「現実逃避」といった言葉でした。
まあ、ファンタジー自体がもともと昔から「現実逃避だ」と言われ続けて来たジャンルなわけですが、異世界転生ものはその内容から、やはりそういうそしりは免れませんでした。
とはいえ、現実逃避の何が悪いのだと私は思いますし、これだけ流行するというのは、平安時代の来世思想と同じで、現代は辛いことが多い時代なのだろう……とも思います。
実際、災害も多いですし、世界的な疫病も流行りました。他国とはいえ戦争も起こっています。
いじめも深刻で、被害者側が自殺してしまうことも少なくありません。
私の学生時代はいじめに遭っても逃げることは許されませんでしたが(逃げた側が非難されるのが常でした)、今は「そういう時は逃げろ」という声も聞きますし、逃げた結果が「ひきこもり」であるなら、来世で幸せになって何が悪いの、とも思います。
そしておそらくは、そう考える人も多くなったので、こんなに異世界転生ものが流行るのかな、とも思います。

ただ、逆に考えるとこれは、末法思想の世の中と同じで、それだけ今の世の中が生き辛くしんどいということで……。
現世が生きやすく楽しい世界となって、異世界転生ものというジャンルが廃れる日が来た時、私たちは本当の幸福を謳歌できるようになるのかも? なんて思ったりもしたのでした。

ということで、単純な対比でしたが、以上です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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