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商品貨幣論18  ―徴税も商品貨幣論である―

マクロ経済(信用貨幣論)がミクロ経済(商品貨幣論)の世界を支配しており、その構造は不可逆的であることを述べましたが、それは同時に、

ミクロ経済では商品貨幣論が存在していることは否定できない

ことを実は示しています。
私たちの「買物」という商品貨幣論的物々交換経済の行為は「社会活動・生命活動」に欠くことはできませんので。

しかし、買物以外に商品貨幣論が成立するところがあります。
それは

徴税

です。
徴税は「労働に対する政府の逆報酬」と考えることができます。
少し分かり難いところがありますので慎重に読み進めてください。

通常の労働による生産は、商品に人件費が上乗せされ労働分の価値を所得という価値に変換して、労働者に帰することになっています。
品質の良い商品であれば、人件費比率を高くして高い値段にしても売れます。
逆に悪い品質んであれば、高すぎると買われません。

所得税の徴税は少し違います。
国民が労働による生産するとします。
政府はその商品をみて
「良い品質だったら徴税割合を減らし」
「悪い品質だったら徴税割合を増やす」

事で、労働分の価値を所得という価値に変換して、労働者に帰することになります。通常の商品売買における所得構成は加点方式なのに対し

徴税とは、徴税比率を変動させ良い労働(商品)なら税率を安くし、悪い労働なら高くするという減点方式なのです。


今の日本政府がやっている(社会保障費を含め)徴税比率が年を追うごとに高くなる、というのは

「労働を不当に安く評価しよう」

とする意思が働いていることになります。

そして、加点方式だろうと減点方式だろうと、

「徴税という行為が『労働という商品』に対する『貨幣の価値の変動』を現出させている」

ということが見いだせるわけです。
つまり、

所得税の徴税は貨幣論に置きなおすと「商品貨幣論」であり、ミクロ経済であり「貨幣の価値を移動させること」を主体とした貨幣論、

と言えます。
貧困者に富裕層の富の再分配を訴えるマルキシストが、なぜ富裕層の徴税を強く主張するのか、の発想はここにあります。

さて、それでは、

MMT

はどうなるのでしょうか?
MMTの中核理論に

租税貨幣論

という理論があります。
これは国定信用貨幣論ともいわれ、ドイツ歴史学派経済学ゲオルク・フリードリヒ・クナップが提唱した貨幣国定説が祖となる理論です。
これは「国家的信用」が「貨幣の信用」の背後にある、という貨幣論になります。

その理論の「信用の付与」の仕方は

政府が国定貨幣を定め、徴税することによる

という主張になります。

私はこれまで別で
「貨幣の信用」は「貨幣の価値」の前提になければならないことをずっと訴えてきました。

貨幣の信用>貨幣の価値

です。
これは

マクロ経済>ミクロ経済

であり

信用貨幣論>商品貨幣論

であることと同一の意味となります。

しかし、MMTの租税貨幣論は、「貨幣の信用>貨幣の価値」の大枠は抑えているものの

「貨幣の信用>貨幣の価値」の中にある「貨幣の信用」は「貨幣の信用<貨幣の価値」で成立している、

と言っているわけです。

〔貨幣の信用=(貨幣の信用
<貨幣の価値)〕>貨幣の価値

というわけなのですね。

結果的にMMTは「マクロ経済学に一部商品貨幣論の流入を認めなければ、『貨幣の信用』を現出させることができない」という理論になってしまっています。

ここがMMT最大の隙です!!

ここから侵入してこようとしているのが、

ニューケイジアンの統合政府論だったり、
マルクス経済学であったり、
主流派経済学のシカゴ学派のシカゴプラン
だったりするわけなのです。

今後MMTが、ポストケイジアンの精神を引き継いだまま生き残ってゆくためには、
「貨幣の信用」を「『貨幣の価値』の交換にから発生させる理論」というものから

脱却

をする必要があるでしょう。

私、織原 然はそれがGPCの三点監視によって成立していることを訴えている『異端派経済学』の徒となります。

次回から新章へ進みます。


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