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商品貨幣論2  ―貨幣の中立性―

さて、前回の貨幣ヴェール説は本来なら、「古典の二分法」という理論と共に語られるものなのですが、これはたいへんややこしく分かりにくいです。

私が敢えて簡単な説明を試みるなら、経済の分野でよく使われる「名目値」と「実質値」は「互いに関連せずに」観察できる対象である、という理論ですが・・・余計にわけわからなくなりますでしょ?
ですので「古典の二分法」は無視して機能だけ注目しましょう。

ともかく、貨幣ヴェール説はどのように貨幣の機能を見ているか?というと
A.商品(価値)⇔B.貨幣(価値)⇔C.商品(価値)
という通常の物々交換の考えすら飛び越えて、

A.商品(価値)⇔B.ヴェール⇔C.商品(価値)

となります。
真ん中のヴェールに「(価値)」と付けていないのはある意味「ヴェールに価値を交換する媒介物としての価値すら見出していない」ということです。

これが究極の

「貨幣の中立性」

という考え方になります。
貨幣はそれ自体に価値があるわけではなく、価値を測定するものであり、利便性があるだけで、A.C.のそれぞれの価値に影響を与えるものではない。ただ存在しているだけのものだ、というわけです。

これは結局大きな矛盾を含んでいます。
現実には「B.ヴェールには価値があるんじゃないか」という矛盾です。

B.ヴェール、はつまり貨幣、であり、それはデイビッド・ヒュームの時代、金貨や銀貨です。
金貨や銀貨が流通している世界で、「金貨や銀貨には価値はないと欲さない」ことはあり得ず、「金貨や銀貨には本来価値はない。金貨、銀貨に商品A.C.の価値が投影されているだけ」というのも、「投影」だとしてもそれは価値だから、多くの人が欲するのです。貨幣の価値は誰も無視できないのです。

そして、現実、貨幣の量が多くなれば貨幣の価値が下がり、結果、商品との交換ができなくなったり(インフレ)もします。
例えば、昔スペインが南米を植民地支配していた時、南米の豊富な銀貨がヨーロッパにもたらされ結果、銀はインフレ(価値の暴落)を起こし、「太陽の沈まない国」と呼ばれたハプスブルク家スペイン帝国の没落の遠因となりました。

貨幣を多く持っている人間と持っていない人間との貧富という価値の格差も、結局、貨幣の所有量によるものです。

以上のように
もし中立性があるなら、
①貨幣に価値を見出すことも、
②貨幣価値が変動することで商品が買えなくなることも、
③貨幣の所有量に偏在が存在することも
おかしな理論なわけです。

しかし、ここで多くの研究者は奮起してしまったわけです。
以上の3点の「貨幣ヴェール説」と適合しない何らかの「おかしさ」こそが、以後の主流派経済学の「研究対象」となったわけです。
如何に貨幣の価値を無視し、偏在を解消し、中立性を成立させ得るのか、という。

以後、古典派の頃から現代に至るまで、
主流派経済学を研究する研究者たちは
貨幣を無視する、或いは、無視できないとしても、

「何が理由で貨幣を無視できないのか?」
を考察し、
「どうにかして無視できる存在にできないか?」
を模索し続けることになります。


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