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豆知識⑥  独裁者は「プールがお好き」

  • 「モズラーの名刺」の父親が子供を独裁的に支配・虐待できる危険性。

  • 三点監視によらない「貨幣の信用」の不在が「貨幣の発行者の信用」の確立を招き、独裁へ至る危険性。

  • ソ連ゴズバングをモデルに示した統合政府が独裁を行う危険性。

これまで何度か伝えてきた私の発する「貨幣論の危険性」

独裁の危険性

ということになります。

独裁者の貨幣の使途には共通点があります。
「良い独裁者・名君」であろうと、
「非道な独裁者・暴君・暗君」であろうと同様です。

それは「政府の貨幣のプール」に貨幣を貯めこみ、それを独裁者の裁量において、汲み上げて国民に配る、という行為のことです。

名君は「貨幣のプールから汲み上げた貨幣をたくさん国民に貨幣を配ってくれる」存在です。
暴君・暗君は「貨幣のプールから汲み上げた貨幣をあまり国民に配ってくれない、或いは自分が更に儲かるために、また国民を支配するために貨幣を利用すること」と存在ということになります。

結果は大幅に違うわけですが、両者は次の点において完全に同じです。
「政府の貨幣のプール」という巨大な量の貨幣を私物化している、という一点においては双生児なわけです。

さて、

名君というのはいつも必ず誕生するでしょうか?


そんなはずがないのです。
それはこれまでの歴史を見れば明らかです。

あのスターリンも、毛沢東も、ポル・ポトも、
最初期においては「この人こそ名君だ!」と熱狂して誕生したのが彼ら独裁者です。

因みに、

全員が国民を不当に虐殺してます。

そして、現在の日本を見ても明らかです。
現在の日本の経済政策による疲弊がこの程度で済んでいるのは、少なくとも、まだ辛うじて総理大臣が独裁者ではないからです。

しかし、経済学においては長らく「名君の徳治」を前提とした理論が、少なくとも主流を占めているわけです。
それが主流派経済学という

貨幣プール論を前提とした理論

になるわけです。

因みにこの「貨幣プール論」というのは経済評論家 三橋貴明さんの表現した言葉で、
伝統的な表現としては「貨幣ヴェール説」
貨幣論としては「商品貨幣論」
貨幣供給論としては「外生的貨幣供給論」
という用語となります。

ぶっちゃけてしまいますと、

主流派経済学の貨幣論
=貨幣プール論
=貨幣ヴェール説
=商品貨幣論
=外生的貨幣供給論
=古典派・新古典派・オーストリアリバタリアン学派・
 ニューケイジアン他

大雑把ですがそのように大別することは、決して誤っていないと思います。

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