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何に対しての内外なのか?―内生変数と外生変数6―

久々にこちらのマガジンの更新になります。
考えをまとめるのに1年以上かかりました。


余りにも久々すぎるので少し振り返りをします。

■内生変数と外生変数の振り返り

内生変数とは、モデル(市場)の中で生まれる内生的パワーのことであり、それを数値化したものです。パンが発酵するような内部から膨れ上がるパワーですね。
それが貨幣である場合は「内生的貨幣供給論」と言い、そしてそれを引き起こす社会的な理論は「有効需要の原理」。貨幣発行理論は「市場内部で行われる信用創造」と、こうなるわけですね。

外生変数とは、モデル(市場)の外で生まれ外生的パワーのことであり、それを数値化したものです。そしてモデル(市場)に投入されることで内生変数に変化を与えます。パン(市場)に外部からパワーを与えて捏ねて成型する感じですね。
それが貨幣である場合は「外生的貨幣供給論」と言い、それは市場の外から供給されるわけですから、「市場内部で行われる信用創造」ではないわけです。

上記の通り、市場に対して内と外であることが重要になる、というのが私の考えです。

■尚、市場に対する内外とする説は私の持説です

改めて注意しておくと、これは私の考えなのですが
「内生的貨幣供給」というと「何もない内側から貨幣が発生する」「信用創造の別名」という考えに一般的に成りがちなのですが、私はそれは間違いなのではないか、と思っております。
実際には「市場の内側で貨幣が発生する」という意味であり、信用創造を示す別名というわけではないと思っているのです。
それはこれまで説明した内生変数、外生変数の考えからそのように考えています。
是非、過去のシリーズの読み返しの方をよろしくお願いいたします。

■政府の外生的貨幣供給論

政府が日銀との間で信用創造を行い日銀当座預金を発行し、その貨幣を使って、民間市場に投資を行うとする場合、それは民間市場に対して外部からの貨幣供給なので、外生的貨幣供給論となります。
しかし、多くの人が「何も無い無の状態から貨幣を作ったのだから」ということでこれを「内生的貨幣供給論」と勘違いしてMMTの積極財政政策の案に組み込もうとしてしまいます。
これが、政府による「選択と集中」の理論に利用され「ワイズスペンディング」、「政府は収益の上がる、経済成長のするところに投資しなければならない」というリフレ理論にも利用されてしまうことになります。

貨幣を無から創造したとしても、その貨幣をプールからプールへ移動させる理論であるならば、それは商品貨幣論なのです。
MMTではあり得ません。

MMTがリフレ派的商品貨幣論をいつまでも切り離せないのはこの貨幣の運用方法が外生的であるにもかかわらず、それを内生的だと勘違いして、貨幣をプールからプールへ移動させる理論であっても、それは信用創造された貨幣だからMMTに違いない、という不正確さからくる認識もそれなりにある、と思われます。

■政府の内生的貨幣供給

それでは政府の内生的貨幣供給論というのはどういうものなのでしょうか?
それは政府が民間市場の企業に発注を行い、商品サービスの提供の対価として、民間企業の預金通帳に貨幣を万年筆で記載することです。
これが内生的貨幣供給だ、と私は見做しています。これなら政府は自らの貨幣のプールを一切心配することなく、貨幣供給ができます。
簡単に言いますと本来、民間企業Aが民間企業Bに対して発注を行いその対価を支払う、という関係の民間企業Aを政府が代行して発注をしている。ただそれだけです。
これが官需であり、これが公社であり、公営団体・公益法人が行う事業であり、これを大規模に行うことを護送船団方式、と言います。

■まとめ:信用創造は無条件に内生的というわけではない

実はこの政府の信用創造について、私が知るところ複数の説があります。

  1. 政府が民間市場へ投資を行うまでが政府の信用創造である。逆説的に、政府の国債発行による日銀の日銀当座預金発行は貨幣発行(貨幣創造)ではあるが、信用創造とは言わない。

  2. 政府が日銀と協力して無から日銀当座預金を貨幣創造することを信用創造と言い、それは内生的貨幣供給でもある。民間が無から貨幣を信用創造することも内生的貨幣供給という。

  3. 政府が日銀と協力して無から日銀当座預金を貨幣創造することを信用創造と言うが、それは市場に対する外生的パワーなので外生的貨幣供給であり、民間が無から貨幣を信用創造することを内生的貨幣供給という。

3.が私の持論ですね。
恐らく、以上の3点においてまだ整理されず混乱があるのが、現在の経済学なのではないでしょうか?

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