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自信と盲信は違うんだ

こんにちは。
株式会社Origin.の川﨑です。

先日のブログにて

「やる気のある凡人vsやる気ない優秀に思うこと」

という記事を書かせて頂きました。

読んで頂いたとある方から

「今は凡人かもしれないけど、自分は優秀なんだと思わないとモチベーションが保てない。だから周りからどう思われても自分は優秀側の人間だと思いたい」

といった感想を頂きました。

この話だけだと

やる気のある優秀
やる気のない優秀
やる気のある凡人
やる気のない凡人
自分を優秀だと思い込んでいる鈍才


の5つに分類した5つ目に当てはまってしまう典型なのです。

もちろん感想をいただいた方にはしっかりと説明して納得して頂いていますが、ここでも説明をしていけたらと思います。

自信と盲信はまったくの別物


まず結論からお伝えしようと思いますが、他人が自分自身のことをどう評価して、どんな認識を持っていても問題はありません。

感想を頂いたその人が「自分は優秀なんだと思わないとモチベーションが保てない」というのであれば、優秀だと思い込めば良いと思います。

しかし、アベプラでもブログでも論点はやる気のある凡人とやる気がない優秀はどちらの方が使えるか、もっと言えば「やる気は必要か」という話なので、それに準えて話を進めていけば

優秀ならやる気がなくても成果を出している
or
効率は良いとは言えないが時間や気持ちで成果を出している

のどちらの状態かが重要です。

前にも触れましたが、1番NGなのがやる気のある無能と、論外としてやるの気のない無能となります。

さて、話を戻しますが、今回の感想をくれた人の話ですが、

「今は結果を出していないが優秀だと思いたい」

これは良いとして、

では、成果を出す為にどれだけ努力をしていますか?

と聞かれれば、

「人並みかそれ以下」

となれば、それはやはり

自分を優秀だと思い込んでいる鈍才

となってしまうのです。


優秀な人間なんだという自信でなく、根拠のない盲信を抱いている状態なので、これでは成果を出すのは難しいですよね。

大事なのは過程ではなく、結果


それぞれにテンションの上げ方があって、それに従ってパフォーマンスを向上できるのであればそれが正しいアプローチになります。

しかし、「そう思わなければモチベーションにならない」は過程に固執している状態です。

誰がその仕事をしようが一本の契約は契約数1ですし、作成された資料に制作者の名前は載らないのです。

つまり、優秀か凡人かは家庭の話で、成果になってしまえばそこに意味は無いのです。

「思いたい」と拘っているのは成果まで行き着いていない、そこに止まってしまっている人の考えなのでそこから抜け出しましょう。

その為には現在地を見定めることです。

あえて先日のブログと同じ締め方をしたいと思います。

凡人が結果を出せば自ずと周囲から優秀と評価され、行き着けば天才と評されるのでしょう。

やる気を出せとは言いませんが、やるべき事をしっかりやっていきましょう。

何かの為になりましたら幸いです。

では、また

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