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数字が気になってしまい疲れる話
コンテンツの良し悪しを再生数等で判断しがちになってきてしまっている。
例えばSpotifyで好みプレイリストをシャッフルで漁ってる時に好きな曲を見つける。Spotifyではアーティストページに飛ぶと再生数が見れるのだけれども、その曲の再生数が3桁だったり4桁だったりした時になんだか不安になってしまう。新譜でもそうなのだ、旧譜であればなおさら。
これはどうも具合が良くない。
娯楽を貪るってのは"自分"がどれだけそのコンテンツから幸福感とか満足感を得られるかだろうになぜに再生数を気にしてしまうのか。
SNS見すぎ
最近読んだ記事で映画やアニメを倍速だったり10秒飛ばし連打で見ている人が少なからずいるというのを見た。わからなかった部分はWikiなり考察サイトで補完するらしい。
情緒もへったくれもないと思うけどもそれは置いておく。
どうにも見るもん多すぎてコンテンツの消化が大変なんだそうな。
とにかく共有することに必死みたいだ。
とはいえ私は友人激少な人間。バリバリの無職。
共有する人間もそんないないのになんで数字を気にするのか。
SNSの見すぎだろう。
暇さえあればTwitterトレンドなりタイムラインを確認して世間への繋がりの手がかりを探している。
共感できる文字列を発見して落ち着いた気分になりたいのである。
とはいえ文字列ではなかなか自分の意見・感想と完璧に一致したものは見つけ辛い。
というわけでとてもとてもわかりやすい数字というものを気にしてしまうんだろう。
ちょっと前だったらTVに知らねぇ女優が出てきたらwiki見に行ってどんなドラマやってたとかどんな賞受賞してるとかを見てたのが(これも対外アレだけど)今ではTwitterかInstagramのフォロワー数を見てなんぼのもんか判断してしまっている。このままだと自分の感性がなんだか良くない方向へ行く予感がしている。
好きなもんが好きなのだと言えばいいだけの話なのだけれども、
自分はそんな強者ではないし……
はて?強者とは??
社会性とか他人への影響力の強さだろう。
影響力の強さを何で測るか?
フォロワー数の多さでしょ?
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