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アタリマエ

脳性麻痺と共に生きる
「動けない、話せないけど、大学講師」である22歳の息子は
「でも伝えることができる大学講師」になるために、2月3日手術を受けた。

障害当事者である彼自身が
自分らしく生きるためのチャレンジをしていく過程を発信することで、

誰もが自分らしく生きれる可能性を
当たり前に持つことができる社会を実現したい

彼は今、自身を生きる教科書として、
日々の生き様をYouTubeを介して発信している。


この4月より彼は
大阪のとある看護専門学校学生との
1チーム3名60分のオンライン授業のご依頼を頂いていた。

5組目を先週金曜日に終えて、彼に

・声が出ていないこと。
・学生へのコメントがパターン化している

を指摘した。

「声が出ない」

彼は言った。

「出したい。でも出ない。」

彼の発する言葉を 口の動きで読み取る。

「だからなんやねん。」

私が言う。

「出ないからなんやねん。

それで終わりか。
出ないから仕方ないんか。

あんた、
そんなん言ってて自分が嫌にならんのか。」

私の声に
背面のスクリーンカーテン越しにいた祖父母が
息をのんだ気配がした。

「どないしてでも出そうと思ったんか。

どうしたら出るようになるんか、
工夫したんか。

どないしても出ないなら、しゃーないけど
ほんまにやることはやったんか。
今できることは全部やったんか。

声が出ーへんなら

必要とされる質問とは何か考えたり
語彙を増やす努力をしてるんか。

ほんまにやることやったんか。

講師はな、自分の言いたいこと言うんちゃうねん。

その場で、
その学生に必要な言葉や気づきを与えるのが講師や。

履き違えるな。

あんた、自分の言葉で伝えるゆーて
大学講師目指すんやゆーて、
めっちゃたくさんの人に応援してもらってるんやろ。

まさかと思うけど
あんた、障害のせいにして

できんくてもしゃーないわって
簡単に思ってんちゃうやろな!!」

翌日、携帯が鳴った。
画面には母の名前

「お義母さんたちから聞いたよ」

母が言う。

「亮夏くんは障害があるんだから
うまく話せなくても仕方ないんよ。

今まで話してこなかったから
言葉がたくさんないんだよ。

だからそんな風に、

あなたのお父さんみたいに怒らないであげて。」

父に怒鳴りつけられていた日々が一瞬で蘇り、
振り払う。

「ありがとう。

でも、できないことを障害のせいにして
当たり前にしてほしくないから。

彼を障害者として接していない数少ない人間として
私は言うべきことは言うって決めてるから。

それから、叱るときは叱るけど
褒めるときは褒めるから。

私はお父さんと違うから。」

電話を切って、
目の前にあったコップ一杯の水を一気に流し込む。



彼と目があう。

「あんたはほんまにそれでいいんか。

障害があるから、できなくて仕方ありません。

あんた、それでいいんか。

それでも超えていくのが
畠山亮夏ちゃうんか。」

彼は黙って聞いていた。

そして昨日、
1週間ぶりのオンライン授業。

彼は1時間半、自分1人の声で授業をやりきった。

自分の声で学生の質問に全て答えきった。

午後。
別の大学の授業打ち合わせでは、
自分の考えを自分1人の声で伝え、
先生と共に授業案を作り込んだ。

「できたやん!
できるやん!

何工夫したん。
どう工夫したん。

私に教えて。
あんたの努力、あんたの工夫

私に聞かせて。

あんたはほんまに凄いなぁ!!!!」

思わず抱きしめそうになって、
寸止めする。

代わりに手を取る。

「声を出せている時の身体の状態、心の状態を
いつでも再現できるように、しっかりモノにしとき。

そしたらまた緊張が強くなっても、
今に戻せるでしょ。」

はい。
はい。

はにかむ彼。
すっかりゴツくて太い手を何度も握る。

「あ、お茶いる?」

冷蔵庫を開けて、
彼専用のコップにお茶を注ぐ。

嬉しそうに笑顔一杯顔に貼り付けながら
学生へ講義する彼の横顔を思い出す。

開け放った窓では
カーテンがゆらゆらと揺れていた。



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