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それで君は何ができるの。

仕事の帰りが遅くなって、急いで車を走らせていると突然夜空が明るいところに出た。

伊丹空港だ。

あれは3年前、息子が17歳の頃だった。
私はある夏の日を思い出した。

………

彼は二泊三日
沖縄修学旅行へ旅立った。

「友達が欲しい」という理由だけで
支援学校から一般高校へ進学を決めた彼にとって
願ったり叶ったりの修学旅行。


だと思っていた。

しかし出発当日の朝、この親子の表情のギャップたるもの、半端ない。

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そう、彼は
行きたくないのだ。


修学旅行が迫った4日当たり前から
彼のテンションは一気に急降下し始めた。

車椅子から落ちそうなほど
突っ張る。


表情も突っ張る。


初めは車椅子が合ってないのかと思った。
しかしどうやら、違うらしいことに気が付いた。


お初が苦手な彼。

その頭の中は『不安』という思考に 侵略されていたのだった。


「君、また怖がってんの」


「よし。君の不安聞いたろ。
ダラララララ…ダン!!第1位は!」

先生

「先生。なんで。誰か嫌いなん。」


「嫌いちゃうの。
ほんならなんや。。。あー、わかった!

上手くやってもらわれへんかも、とか。」


はい。

「あ。それはな。それは無理やで。
やってもらおうとか思ってるうちは無理やで」


彼は黙って私を見ていた。
 


「あのさ。
まず高校の先生は支援学校の先生じゃないから。
勉強教えるのが専門やからちゃんと抱いて欲しいとか、ちゃんとやってほしいとか、そんなん思っても無理やで。

やってほしい。
わかって欲しい。

そう思ってるうちはしんどいねん。

あのな。
一個聞くけど、君はどうするねん。

やって、やってって。

君は何するねん。


君は何もせんつもりか。
君は待ってるだけか。

あの人が悪いとか
あの人がわかってないとか
そうやって人のせいにする時ってな
  

自分がなんもやってない時や。


人に任せきりやからな
その人のせいにしてしまうねん。

君は何ができるの。

ちょっとでも抱きやすいように
足曲げるとか。
力入らんようにリラックスする
努力をするとか。

自分でできることは何かその時考えて、やってごらん。

そしたらな、誰かのせいにせんですむわ。


待ってばっかりおらんと
自分でやることやっておいで

まってる時が一番しんどいんやで。


友達もそう。
誰とでもそう。

何も出来ないわけじゃない。
君にだからできることがある。

全ては君の心一つ。


笑って
帰ってきて欲しい。

彼のにきび面ほっぺを
片手でむにっと掴む。

たらこ唇と
その隙間から彼と目が合う。


「ただで帰ってきーなや」

早朝のターミナル
返事を待たず車椅子の押し手をそっとクラスメイトに託した。

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そして二日後の夜、

一際明るく照らされた大きな真っ白い空港の玄関口から、彼は帰ってきた。


車椅子越しにクラスメイトと話す彼が見えた。
その表情で、この3日間彼がどう過ごしてきたのかがわかった気がした。


私は思わずスキップして駆け出しそうな足をおさえて、ゆっくり彼に向かって歩き出す。


「お帰り」

私と目があった彼は

た、だ、い、ま

そう一言ずつ絞り出した後、ニカっと笑った。


彼が後ろにかけた大きなカバンの横には、入りきらなかったのか、お土産が入ったビニール袋がいくつも掛かっていた。

集合場所と同じターミナル。
違うのは、朝が夜になっている事と、鞄の大きさ。そして彼の笑顔。

帰ったら二日前の朝の写真を見て、それから何から話そうか。

そうだな。
まずはミルクたっぷりのコーヒーを二つ入れて、チョコレートは一つ。

そして今度は彼の返事を飽きる程待ってみよう。


…………

あれから2年が経った。

聞くところによると彼が一番大切にしたいる言葉は「ありがとう」なんだそうだ。

人は一人では生きていけない。障害があろうとなかろうと、いくら時代が進んだとしても、いくらオンラインの社会が当たり前になったとしても、やっぱり人は人と繋がって生きていくのだと私は思う。

目の前に居る人、ある物全てに感謝を持つことの大切さを、改めてあの日の記憶から垣間見えた6月のある日の夜。

見上げた空の色は綺麗な深縹色だった。








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