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今は亡き父の言葉で、今日を生きる。

夕方。

わたしは一人勉強机に向かい、好きな本を読んでいた。

外で飼い犬ベックの鳴き声がする。

間をおかずバイクのエンジン音が聞こえてきた。途端にわたしの呼吸は浅く、鼓動は1.5倍早くなる。

父が、帰ってきた。

父は典型的な昭和の父だ。

たたき上げの消防士。

好きな言葉は「根性」と「正念」

ちゃぶ台をひっくり返す、アレ。

ちゃぶ台はなかったけど。

父の言うことは絶対だ。父の言うことは全てが正解。それが我が家。

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幼い頃から父との会話は、途中で何を話したかったのかも忘れるほど、手に汗を握るものだった。

変な日本語を使っていないか。起承転結話はまとめられているか。目を見て話せているか。声はきちんと聞こえるように出ているか。父にとって不快な話ではないか。

念には念を。

でも時々わたしは失敗した。

父の表情を1ミリも見逃すまいと見ているのだから、その変化を見逃すはずはない。容易いことだ。

失敗した

と気がついた時にはもう遅い。

みるみる父の目が三角になったかと思うと、ラップが破れる時のような音。そのあと暫くして右の頬は熱を帯びる。

だからお前はアホなんや。

なんもでけへんくせに、偉そうな口聞くな。


父が正解で、わたしはいつも不正解。


小学校一年生の時に書いた将来の夢は「お医者さん」5年生の時は「弁護士」で、卒業文集には「ニュースキャスター」


ある日父が連れてきたお客さんに「君の好きな歌はなぁに」と聞かれたら、「カーペンターズ」と答えた。

「なんて素晴らしい感性をお持ちの娘さんでしょう」

とその人は言った。

嘘つき。

一回も思ったことないよ。将来の夢は家を出ること。好きな歌は翼をください。だよ。

神様、わたしの背中に翼をください。この青空に今すぐ飛んでゆきたいの。消えてしまいたいの。

わたしは嘘つきなわたしが、世界で一番大嫌いだった。

消えてしまいたい。

消える勇気もない。

どこまでいっても、ダサいわたし。

そうして幼いわたしは

父の正解、母の正解、友人の正解、先生の正解を探る達人になり、見事空っぽ人間になった。

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そんな自分を変えたくて、でも空っぽのわたしには何もなくて

しかし唯一、見た目にはわずかな自信があった。

高校卒業後、両親が望む「手に職をつける」ための専門学校に通う傍ら、キャバクラでアルバイトを始めた。

時間は15:00〜20:00

時給2000円

初めての世界。

かわいいね。綺麗だね。

ろくに会話もしないのに、にっこり笑うとみんな褒めてくれた。ご飯に行こう。欲しいものを買いに行こう。今度遊びに行こう。

初めて会った人が、わたしを必要としてくれた。

見返りを求めて。


虚しさと背中合わせ。そんな割り切った世界がわかりやすくて、思ったほど嫌いじゃなかった。


でもすぐにそこも父の知るところとなる。

父の同僚が偶然お客さんとしてやってきたのだ。

そんなこととは梅雨知らず、わたしは馬鹿みたいに本名で接客していた。

わたしは自分の名前は、気に入っていた。


帰宅すると父に呼ばれた。

「お前はどれだけあほなんや。女を売る仕事なんかするな。」

血の味がした。

鏡を見たら、鼻と口から血が流れていた。

女であることさえも、わたしを自由にしない。

わたしにはなんの価値もない。生きる意味がわからない。

誰か教えてください。わたしは誰ですか。

ある日突然に出会った。彼はわたしを下に見ることも、奇妙にもち上げることもない。対等に接してくれる彼がただ心地よかった。

そこにいるだけでいいと言ってくれた。

出会って3ヶ月、彼に結婚を申し込んだ。

なぁ、結婚してくれへん。

だからわたしを妊娠させてや。

彼は今もわたしの隣で笑っている。

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彼との結婚は、階段から突き落とされても、サボテンを投げられても(これは貴重な経験!)必死に貫いた。

そして見事、結婚。私19歳。夫22歳。

式は2月、雷と雪が降る忙しい日だった。

両親がかき集めたお金で通い出した専門学校は、一年で辞めてしまった。

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見事脱出成功。

したものの、緊急帝王切開の末生まれた長男は麻酔から目覚めると生死を彷徨い、小さな体にチューブをいくつも繋がれて、透明な箱の中に入ってる。

唯一わずかに上下している胸を見て、なるほど、この子は確かに生きていると分かった。


彼はのちに脳性麻痺と診断を受けた。

「障害があるらしい」と電話で両親に告げた。

母は泣き、

「この、恥さらしな子供を産みやがって。」

と父の声。

それで電話は切れた。

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父が食道癌だと分かったのは、それから10年経った長男が11歳の頃。

抗がん剤で嘘みたいに父は小さくなっていった。手術も一度したが、気休め程度のものだった。

やがて父はホスピスに移った。

自宅の階段も、もはや一人で登れない。

わたしは父のベルトを持って、声をかけつつ一段一段父を持ち上げた。

父が行きたいと言うところへ車で乗せていった。

座った体を必死に転げ落ちまいと前座席に捕まり支えている父の姿がバックミラー越しに見えた。

わたしは思わず目を逸らした。

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「仕事でちょっと遅れるわ」

と言う母に変わって、ある日父の病室に一人で向かった。

父は横になっていて、わたしに気がつくと

「ああ、織恵ちゃんか。」

と言った。

「ちょっとこっちにおいで」

父がベッドまで来るようにわたしを呼んだ。

わたしはベットの横に少しだけ腰を下ろし、どうしたん。とたずねた。

父はわたしの手をとって、こう言った。

「織恵ちゃん。大きくなったな。」

なんて言っていいのかわからなくて、うん、とだけ頷いた。


父は不意にわたしの手を握り、

しばらくそうしたあと、

こう言った。

「お前が娘で、よかったな。」


父の手は、痩せた体とはアンバランスなふかふかで、大きくて、あたたかかった。

窓ガラスに映るわたしは、自分でも驚くくらい

嬉しそうな顔をしていた。

探していたものをやっと見つけたような、小さな子どもみたいに。

その春、その言葉を最後に父は桜になった。


あれから10年。

父に似た方に出会った。

その方の言葉は厳しくて、でも、愛があった。

生前の父は不器用だったと今ならわかる。

きっと父が生きていたら、その方と同じことを言ったんじゃないかと思った途端、父を思い出した。

思い出した父は笑っていた。

あの日の父の言葉に背中を押してもらって、わたしは今日も生きている。










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