My Profile#3 ずっと一番前に座り続けた小学生期

#2にしたためた幼稚園時代からの近視発覚に伴い、私の小学生時代は「黒板が見えない」ことを理由に、ずっと一番前の席に座り続けた。小学校に入って視力も0.2以下に落ちていったが、それでもメガネをかけずに過ごしていた。

見えないことへの葛藤はさておいて、おかげさまで授業中は誰よりも集中していたと思う。前を向けば黒板と先生だけ。黒板の文字を追うのもきっと必死だったために、集中力がついたのと、理解力も早く身についた。

後から思うことではあるが、このおかげで成績もいつも上々であり、宿題なんかも授業中や学校内で終えてしまって、家に帰ってあまり勉強しなかったのにそれなりにできたことは、一番前で学び続けたことにあったのだろうなと。

しかし、母親は私が家で勉強しないことに対し、相当イライラしていたようだ。。それなりの成績は取っていたと思うのだが、家では他のことに熱中したりしていたので、ちょっと目障りだったようである。


近視に関わる件でもう1つ衝撃の体験がある。

さすがに近視が進んで「視力回復トレーニング」やらいろいろ試したが一向に良くならず(私の場合は、幼少期から進んでいたため度数も悪く、早々すぐに回復できるレベルではなかった)、小4の頃にメガネをつくろうか、という話になり、初めてつくったことがある。

それを家の中でかけたときにまた「見える世界」への衝撃が!笑。それでも1.0くらいに合わせてたと思うが、ここでまた「みんなこんなに見えているのか!」と驚愕し、見えすぎてしまうことと、やはりメガネをかけた自分が本当に嫌だったので、結局まったく使わずに過ごしてしまった。

いま思うと、やはりこの体験でも「人からどう見られているか」への恐れが増幅し、自分以外がこんなに見えているのだから、自分がどう見られているかを過度に意識するようになっていたと思う。


そしてもう1つ。小児喘息を克服するために、当時喘息にいいと言われた水泳を習い始めた。しかも近視のまま!いま思えばよく飛び込んだなと思うが、当時はあまりよく見えない世界が通常だったため、そのままプールに通い始めた。

これも体のため、と思いながら頑張っていたし、水の中はなんとなく好きな気がしたが、やはり見えない中で泳ぎのレッスンが進んでいくのは怖れとの戦いでもあった。いよいよ背泳ぎ!となったあたりから、自分の進んでいく方向がまったく見えず分からず、本当に怖いと思っていた。

そうしていたら中耳炎になり、もう行きたくないという思いと共に、強制終了となった。これはもう自分の恐れが引き起こした病であるなと思っている。

このことから、私は多分珍しく、小中高ともに学校にプールがない、という状況から「泳ぐ」という体験をほとんどしないでその後も過ごすことになる。でも自分の中ではなんとなく泳ぎたい気持ちがあって、最近になってスポーツジムで泳ごうとしている。


こんな日々を過ごしながら、音楽への目覚めは引き続き保っており、ピアノのレッスンを続けるとともに(相変わらず練習は嫌いだったが)、テレビから流れる音楽番組にかじりつき、アイドルへの憧れや好きなアーティストを追う、ということをし始めた。

ジャニーズはみんなで騒いだりしたけれど、私が初めて追うアーティストとなったのは「チェッカーズ」であり、初めて買ったレコードも、そこから解散コンサート最終日に出向くまで、全CDを揃えるところまでハマった。

そして中学時代へ続く。。


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