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ゲストハウスのヘルパー制度について考える

ゲストハウスにおけるヘルパー制度とは

 ヘルパーはフリアコ(フリーアコモデーション)と同義。館内に無料で寝泊まりしていい変わりに仕事を数時間手伝ってもらうシステム。江戸や明治時代から「丁稚奉公」システムはあったと思うが、元々はそれと似たような物だと思う。
 1166bpの場合は住居に加えてお米など一部の食材が無料になり、その見返りで週15〜20時間ほどの掃除手伝いをしてもらっている。

事業計画書上のヘルパー

 2010年に開業した1166バックパッカーズだが、開業前の事業計画書的にはヘルパーありきの運営だった。その理由としては人件費。初め自分で運営するなかでどれだけの収入が得られるか見えなかったので、自分が24時間働くつもりだったが、もし縁があればヘルパーさんにも手伝ってもらえれば、と思っていた。

2010年 開業初期のヘルパー

 初めてのヘルパースタッフは、さやちゃんという女の子だった。彼女はカブで日本一周をしている最中にお客さんとして泊まりにきたが、この場所が気に入りもう少し長く滞在したいというので、ヘルパーになった。さやちゃんは確か2週間くらい居たと思う。その後、またカブで次の目的地へと旅立っていった。
 その後はゲストハウス開業準備中の友人でもある少し年上の女性。一足先に開業した私のところにお仕事体験として2週間くらいきてくれた(その後彼女も素敵なゲストハウスをオープンしている)。
 そのほかにも近所の大学生が訳あってアパートを退去してしまったので住処の提供と引き換えに手伝ってもらったり、満室で人手が足りない日にちょうど宿泊していた常連ちゃんに宿代と引き換えに1日だけ手伝ってもらったこともある。

2013年 ヘルパーからアルバイトへ移行

 ヘルパーからアルバイトスタッフへの移行期間に働いてくれた男性がいた(というか今も近所に住んでいて、日ごろからお世話になっている)。ヘルパーの域を超えていたので給料を出したかったが、給料を出せるほどに儲かっていたわけでもなかったので、寸志のようなところから始まった。
 そうこうしている間に経営が少しずつ安定していったり、自分が遠距離結婚をしたりもあって不在になる日も出てきた。「手伝ってくれる人」の域であればヘルパー採用でもよかったかもしれないが、自分がいない時間を任せるとなるとヘルパーでは労働力の搾取になってしまうのかもしれない。そんなふうに思い、アルバイトに完全移行した。

2014年に届き出した迷惑メール

 2014年、匿名の迷惑メールが一斉送信で多くの同業者に届き出した。うろ覚えだが、内容としてはどこかの宿でヘルパーとして働いた人が「事前のやり取り以上の労働を強いられて訴えたい、宿のヘルパー制度は悪だ!」というようなもので50件くらいシリーズで届いて辟易とした(配信停止のリクエストを送っても届き続けた)。送信者のやり方として疑問は多かったが、おそらくその人は、ミスマッチのヘルパー勤務で悲しい思いをしたのは事実なのかもしれない。

2020年 コロナ禍を機に考え直したヘルパー制度

 ここからは記憶に新しいが2020年の年明けから徐々に拡大していったコロナ。卒業式がなくなり、入学式がなくなり、授業はオンラインになり同級生と横のつながりも上下級生との縦のつながりも持てなくなった高大学生たち。限られた学生生活のなかで、やる気を削ぎ落とされた人も多かった。社会人にとっても同じかもしれない。そういう状況だからこそ「誰かと会う」という時間は一層に求められていると感じた。
 就職前に何かやってみたいがまだ海外にも行けない大学生からヘルパーをしてみたいと連絡が多くなる。コロナ禍で客数は圧倒的に少ないので仕事はアルバイトスタッフだけでまかなえる。でもその分ベッドは空いている。交流や雑談が人生に潤いを与えると思っているゲストハウスとして取るべき行動は? と考えた時に、再度ヘルパー受け入れを始めることにした。
 業務としてはあくまでも「手伝ってくれる人」というのは変わらないので、アルバイトスタッフと一緒に業務にあたる。

どんな人が、どんなふうにヘルパーとして関わっているか

 長期休みにくる大学生は多い。あとは失業保険をもらっているから給料はもらえないけれど、社会とコミットしていたいひと。そしてゲストハウス開業希望者や長野市への移住希望者。2週間〜1ヶ月の限られた期間だからこそ無給がよく、無給だからこそここに居たいと思ってくれるのかもしれない。「働くならば給料を出さなければ!」という勝手な敬意は求められていなく、それよりも安心して居られる場所が求められている。

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