マスコミを信頼する日本人の感覚はなぜ生まれたのか ――世論史の断片から――


 ネットではよくマスコミは偏向報道をしている、という指摘が様々な思想、立場の人から行われている。
 その事実の是非はともかくとして、これは見方を変えれば、そもそも新聞、雑誌、テレビといった媒体が「概ね信用できるものである」または「信頼できるものであるべきだ」という考えがいまだに我々日本人の中に根強くあることを示しているといえる。
 事実、2010年に行われた「世界価値観調査」では、日本及び欧米7か国、アジア7か国の合計15か国を対象に、軍隊、新聞・雑誌、労働組合、警察、国会、行政、テレビ、政府、などの14の組織・制度などについて「どの組織・制度に対する信頼度が高いか」の調査が行われたが、そのときに先進国の中で、なぜか日本だけがある特殊な傾向を示していた。

 以下のサイトにまとめられたグラフによれば米国、英国、ドイツ、フランス、イタリアのいずれもが、調査で最も信頼できる組織として挙げたのが「軍隊」、または「警察」であったのに対して、日本では「裁判所」、「新聞・雑誌」がそれらを上回り一位となっている。
 しかもその数値は信頼度は70%台と非常に高く、さらに続く60%台に警察、軍隊に続き「テレビ」が入るなど、他国と比較してもスウェーデンの「テレビ」が50%で比較的に上位にあることを除けば、いずれの国でも「新聞・雑誌」、「テレビ」の信頼度が20~40%台にとどまっているため、これはほぼ日本だけに見られる現象といえるだろう。

 図録 世界各国における組織・制度への信頼度
 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5215.html より

 マスコミを指して「第四の権力」という言葉があるが、これはそもそもマスコミの役割が「三権(司法、立法、行政)」に対して、それを監視する意味での権力という意味合いであったとされる。
 しかし、それがいつしかネットなどで「三権とは別に世論に影響を与える権力」と解釈される意見が目立つようになったのは、こうした日本人のマスコミへの信頼度を見れば、あながち見当違いのものではないようだ。
 
 こうした欧米との差異の一方で、ほぼ信頼度が最下位となっているのが「政府」、「議会」、「政党」だという点では日本も諸外国と共通しているのも興味深い。
 英国のデータと比較すると、ともにこの4者が概ね20%以下の信頼度であるのに対して、やはり日本においてはマスコミの信頼度は非常に高い一方で、英国では10%程度という極めて低いカテゴリーの中に「新聞・雑誌」が含まれているのがわかる。
 つまり英国の場合、国民の多くは(日本と同じく)政府にほとんど信頼を置いてはいないが、同時に新聞や雑誌もたいして信用していないのだ。

 日本では、米英のメディアといえば、非常に先進的というイメージが強く、しばしば「海外の○○は~と報じている」と日本の新聞社にも引用されているが、それらメディアの本国では、彼らの報道がまったく娯楽程度の信用しかされていないというのはいささか喜劇めいているが、そんなものということなのだろう。

 だが、こうなるとなぜ日本と欧米に間でこのような違いが生まれたのかという疑問が起こる。
 これについて手掛かりとなるデータを提供してくれるのが、同じ「世界価値観調査」をもとにネットの分析サイト「ガベージニュース」が掲載したデタだ。
 そのデータの割り出し方を記した部分を以下に引用してみよう。

 「次に示すのは従来型メディアのうちテレビ、及び新聞・雑誌に対する信頼度。選択項目として「非常に信頼する」「やや信頼する」(以上肯定派)「あまり信頼しない」「全く信頼しない」(以上否定派)「わからない」「無回答」が用意されており、どれか一つを選択することになっている(「無回答」は選択する、というよりは結果的なもの)。

 この選択肢のうち今回は「非常に信頼する」「やや信頼する」の肯定派を単純に加算して、その値から「あまり信頼しない」「全く信頼しない」の否定派の値を引き、各メディアへの信頼度(DI値)を算出する」

 このガベージニュースの計算式で見た場合、仮に肯定的な意見が20%程度であり、否定的な意見が70%の場合、結果は「マイナス50%」ということになり、どこの国民に「マスコミ嫌いが多いか」を見定めるには、肯定派(信頼できると思う人)の数値だけを比べるよりもわかりやすくなる、というわけだ。
 その結果、オーストラリア、アメリカ、ニュージーランド、オランダなどの国々がいずれもマスコミに対して、否定的な意見が肯定派を大きく上回っている中で、やはり日本だけが「新聞・雑誌」への信頼度が非常に高い数値を示していることが確認できる。

 http://www.garbagenews.net/archives/1102258.html より

 この方式の計算は確かにわかりやすいが、しかし本命はそこではない。
 興味深いのはこのサイトに掲載されているもうひとつのデータの方だろう。
 
 同サイトが確認した過去に行われた調査データでは1989年-1993年にかけて行われたものと、2010-2014年の間に行われたものを比べた場合、前者の調査では「新聞・雑誌への信頼度」がわずかに肯定的な意見が11%程度であったのに対して、後者ではそれが46%にまで増加し、テレビにいたっては前者の調査では-44%と、むしろ否定的な意見が圧倒的に多かったにも関わらず、後者になると37%と、20年ほどの間に大幅に信頼度が増していることがわかる。
 
 つまり、日本に見られるマスコミ「過信」ともいうべき現象は、過去から続いているわけではなく、90年代の後半になって急速にあらわれた可能性が高いのだ。

 この時期の日本はバブル崩壊以降、有力議員による大規模な汚職が次々と発覚し、政治家と企業との癒着が批判の対象とされ、政治への信頼度も大きく低下していた。 
 『経済広報』(2010年9月号)掲載の「第6回 CSR広報前夜 ~1990年代:バブル崩壊とモラルハザード~」において、剣持隆江戸川大学メディアコミュニケーション学部教授は次のように述べている(引用は「企業広報プラザ」掲載の該当記事より)

 「90年代初頭に起きたバブル崩壊によるダメージは半端ではなく、金融の不良債権は天文学的な数字になり金融システム不安を招来した。
 公的資金の大量投入で日本発の恐慌をかろうじて食い止めるという悲惨な状況であった。銀行・証券不祥事と形容されるほどの事件が頻発し、政財界をめぐるアンチコンプライアンスともいうべき体質が明らかになり、スキャンダルが連日、マスコミのトップ記事を飾るという具合であった。
  企業の不祥事が起きれば、それがトップに責任がある場合でも広報がまず矢面に立つ。トップが逃げ回れば広報は討ち死にを余儀なくされる。
 コンプライアンス、遵法などという至極当たり前のことが、なぜいちいち問題になるのか。後世の人から見ればマカフシギな光景ではないだろうか。」

 これらを踏まえると、もともと日本の政府信頼度はけして高くはなかったところへバブルの崩壊と大企業の倒産、相次ぐ政界のスキャンダルの発覚という混乱が起きた中で、国民がもとめたものは何よりも情報であり、政治腐敗を糾弾する先鋒に立って、「不正」を報道していたのが当時のマスコミでが時代の寵児となったのはある種必然であったといえる。

 以上のことから、90年代に見られた「腐敗した政治という権力と、それを糾弾する勢力としてのマスコミという構図」を当時の世論が好んで受け入れ、それが2000年代にも継続していたと考えることができるだろう。
 こうした構図(ある種の物語)が今後、とくにSNSなどの台頭しつつある2010年代末から2020年代にかけてどのように変化していくのか。それは同時に、国民がマスコミを引き続き信用していくのかどうかという点でも重要になってくるものと思われる。
 


 

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