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真鶴の街から

 よく「旅行に行くなら、あなたは山派? それとも海派?」というけれど神奈川にはそのどちらもがまとまっているエリアがある。
 それが小田原から真鶴、湯河原の一帯だ。私はこのあたりが好きだ。

 新宿から小田急線で一本。小田原からJR東海道線に乗り換え、早川の駅を過ぎれば車窓の向こうにはもう青い海が広がる。
 最近では『ラブライブ』に登場したことでも有名になった根府川駅を越えていくと、右手にはなだらかな丘陵のところどこに実をつけたみかんの木が見えてくる。真鶴、湯河原は知る人ぞ知るみかん産地でもあるのだ。

 真鶴駅に降りると、すぐに駅前に停まっていたバスで三ツ石海岸へと向かう。
 三ツ石は真鶴半島の最南端、地図で見るとちょうど相模湾を挟んで三浦半島と向かい合う位置にある。
 バスの終点である「ケープ真鶴」から、食堂や売店が一体となった施設の裏手の階段を降りると間もなく左手に海岸が見えてきた。その向こうに海から突き出したような三つの岩礁がある。
 これが名前の由来となっている「三ツ石」だ。干潮時には海岸から歩いていくこともできるそうだが、この日はもう潮位が高く半ばもう沈んでいた。

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 秋の海は心地が良い。空が澄んでいるからだろう。
 向こうにはうっすらと大島の島影が見える。

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 三ツ石海岸から舗装された遊歩道を歩いていくと、ほどなく番場浦へ出た。
 この道の先には昔の採石場の後があるそうだ。

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 この海岸でとれる石は「新小松石」といい、江戸城の建築の際にも用いられるなど昔から質の良いことで知られていたという。
 海岸を上がり、戦前は皇室の御料林だったという雑木林の間を抜けて街へ戻るちょうど中ほどのところには、洋画家中川一政の作品を展示する美術館がある。

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 中川一政は1949年からおよそ20年間真鶴のアトリエに住み、とくに福浦の風景を好んで多く作品に残している。
 福浦は真鶴の漁港のひとつ。

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 今は民宿や民家が多く立ち並ぶ港の周囲も、かつてはわずかに人家があるだけの小さな漁村だったそうで、水彩画家の三宅克己が描いた当時の風景が湯河原の町立美術館に残っている。
 
 堤防の上に伊豆半島を正面にして立つ赤い灯台は昭和40年の完成という。中川の代表作のひとつ『福浦突堤』にも描かれている。

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 さて、美術館から真鶴の港に戻ってくると、まず目に入るのは街を見下ろす高台に建つ貴船神社だろう。
 平安時代の創建とされ、大国主神、事代主神、少彦名神を祭るという。
 大鳥居をくぐると拝殿までの長い石段が続く。

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 貴船神社といえば京都にも古い同名の神社があるが、こちらは江戸時代までは「貴宮大明神」(きのみやだいみょうじん)として知られていたそうで、熱海の「来宮神社」(きのみやじんじゃ)等との関係をうかがわせる古社である。
 源頼朝が挙兵した際、この社前で必勝祈願をしたともいわれ、近くには石橋山の戦いで敗れた頼朝が身を隠して難を逃れた「しとどの窟(いわや)」の跡と伝わる洞窟も残っている。

 そうして港から街の方を見ると、緩やかな斜面に無数の家が立ち並び、それがあたかも海のぎりぎりまで押し寄せているように思える。

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 この港の風景がかつて滞在したイタリアのリヴィエラ海岸の街並みに似ていると「日本のリビエラ」と世間に紹介したのは先ほども話に出た画家の三宅克己であった。

 高台から見下ろすと海に向かって色とりどりの家々の屋根が並び立ち、いずれもが強い陽射しに照り付けられているこの街の風景には、確かにどこか異国の情緒があるようだ。

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 多くの芸術家に愛されてきた街は今も美しい海の色をたたえている。

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