見出し画像

立ち眩みの明滅の中で考えたこと

どうやらここ数年、体質が変わりつつあるようで、夏の暑さが性に合わなくなってきたらしい。特に今年の夏はただでさえ暑さに苦しめられた。夏バテで疲れやすくなっているのを感じる。ここ最近は秋の訪れで、よく眠れるようになって安心だ。

さて、振り返るのが遅くなり、もう先月のことになるが、久々に立ち眩みを起こしてしまった。
献血してから3時間後、列車を待つために喫茶店に入ってパソコンで作業をしたいたら、視界が明滅を始めていた。

気が付いたら意識がブラックアウト寸前である。
まるでアハ体験動画。よくバラエティーのクイズ番組の題材として使われているけど不思議だよね。凝視しているはずなのにその写真のどの部分が変わったのかがわからない。そういう徐々に映像が変わっていく手法のことをモーフィングっていうらしいけど。

私の視界もモーフィングと同様の動きを見せていた。徐々に朧げになっているのか、いつからこんなに視界がぼんやりとしているのかがかわらない。しかもめちゃくちゃ気分が悪い。冷房の効いた店内で汗ばんでいる自分にも気が付く。

あ、これやばいやつだ。

私は高校生の時にも失神したことがある。前は初めてのことだったので、こんな風にアハ体験だ、とか思考を巡らせた記憶もなければ、視界が徐々にブラックアウトした経過も知覚できなかった。しかし当時は傍に母がいたのですぐに救急車を呼んでもらえた。自宅に椅子に座っていただけなので、倒れた際に急所をぶつけるようなこともなかったのが幸運だった

しかし、ここはちがう。
気を失っても気が付いてもらえない可能性もある。
このカフェは現状空いていて私はあらゆる人物から死角になっているはずだ。

じっとしていれば収まるだろうか。
しかし汗もなかなか止まらないし、なかなか視界がクリアにならない。
どうしたものか。
カフェの店員さんに目をやる。忙しなくお客さんの注文をとっている。

忙しいよな。でも・・・。

私はやっと自分の本当にやってみたいことに正直になったばかりだった。
転職に成功して、ずっと、誰にも言えなかった将来の夢のしっぽをつかんだばかりだった。
私の人生はここからだ。ここで意識を失って、大袈裟かもしれないが致命傷を負うわけにはいかなかった。

わたしはふらふらと立ち上がり、カウンターに立つ店員さんに声をかけた。眉間に皺を寄せた、おそらく青白い顔で今気持ちが悪くて意識が無くなりそうなこと、できれば横になりたくて、最悪救急車を呼んでもらうことになるかも、と伝えた。

おそらくアルバイトの若いカフェの店員さんは、困惑の表情を浮かべながらも、丁寧に話を聞いてくれ、私の要望は叶えられた、
横になっているとだんだんと視界が明るくなり、汗もなんとか治まった。
私は店員さんに全力で頭を下げ、ことなきを得た。 

私はよく無理しないでねと言われる。
無理してるつもりはないのだが、あまり自分を大切にしようとは確かに思わない。
だからか「自分の人生など取るに足らないもので、自分の人生如きに他人の時間を使って欲しくない」という思いが根底にあり、なかなか人に助けを求めることができなかった。

でも、これからはたくさん求めて生きていくのかもしれないな、と思う。
少しだけ、今は自分の人生に期待している。

でも、本当はそんなに大層なことではなくて、もっと軽いことでもいいのかもしれない。明日はあの小説を読める。明後日はもう少し長く走ることができるかもしれない。
それを思い起こすことができれば、きっと私は助けを求めることが軽率にできるようになる。自分の人生のこれからを知りたい。これから世界がどうなるのかを知りたい。きっとそれらが、理由のない人生の、生きる意味、生きるための執着の源である。


アイコンを変えたい、、絵が得意な人にイラストを書いてもらいたいなぁと考えています。サポートいただければアイコン作成の費用にかかるお金に割り当てたいと思ってます。