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告白 #04

「秋は、食べたくなるのよね」
 有名な果物専門店のモンブランを買ってきたタカちゃんが、箱のふたを開け、中に並んだケーキを美蘭たちに見せてくれる。
 松ぼっくりのような、コロンとした巻貝のようなものが五個収まっていた。栗と洋酒の甘さがふんわりと香り、マロンペーストが螺旋状にすき間なく搾られたそれは芸術作品のようでもある。タカちゃんは食器棚からお皿を選び、人数分取り分ける。
「タカちゃん、いらっしゃい」
 ソファで本を読んでいた父が声をかける。声色が柔らかい。
「イモブ、こんな時間からおじゃまします」
 母がコーヒーミルで豆を挽き始めたので、美蘭はフォークやカップを用意する。
 生まれたときから、近くにいた幼なじみ。それが目の前にいる従姉妹のタカちゃんこと貴子だった。美蘭より二歳年上で、小学生から附属校に通った女子大を昨年卒業し、大学から四年間つき合っていた相手との結婚を控えていた。はずだった。
 「あ、そうだ。チモちゃん」
 ケーキを取り分けた貴子が、何か思い出したように母を呼んだ。かばんのそばに置いていた保冷バックを引き寄せて、ビニール袋に包まれたかたまりを母に渡した。
「美味しく漬けられたからって、お母さんから」
 においが漏れないよう何重にも包まれた中から取り出したタッパには、えごまの葉を漬けたキムチが入っていた。母が嬉々として返す。
「みー姉ちゃんの美味しいのよね」
「ごはんが止まらなくなっちゃう」
「サムギョプサルに合わせようか」
「いいね。その日また来てもいい?チモちゃんの料理、今日も食べたかったな」
 貴子にとって叔母にあたる母を、韓国語で「イモ」と呼ぶ。一方の貴子は、幼いころに「い」の発音ができなかったらしく、その名残りで母を「チモちゃん」と呼んでいた。
 母からタッパを受け取り、美蘭はキムチが収まる冷蔵庫の一角に収めた。
「イモブも一緒に、モンブランどうですか?」
 貴子が父を誘った。母に対しては子どものころのまま愛称として呼ぶのに、父に対しては「イモブ」と、いつからか貴子は呼び替えていた。
 年上男性という存在に対して敬畏の態度を示すことは、肌に叩き込まれてきた感覚は美蘭にもあった。
 引きたてのコーヒー豆の香りが満ちてきて、父もダイニングテーブルに戻ってきた。四人で向かい合って座る。
「和也はバイト?」
 隣に座った貴子が聞く。
「教習所に行ってて。もうすぐ帰ってくると思うよ」
「わざわざ川崎まで?」
 ゆっくりと返すと、貴子はコーヒーカップを持ちながら、語尾にかぶせるように聞いてきた。貴子はしゃべるのが速く、てきぱきと行動するタイプだが、今日は特に、空気のすき間を埋めるように言葉を紡いでいるような気がする。
 美蘭は、自分のリズムを刻むことを意識する。
「そうそう。私も通ってたところの」
「栗の味がしっかりして、おいしいわぁ」
「ケーキの中に、大粒の栗が丸ごと入ってるんだな」
 母がつい漏れてしまったような声を出し、くつろいだ父がおっとりと反応する。アートのようなモンブランの内側にはマロングラッセの粒がたくさん入ったマロンクリームが詰まっていて、さらに中央には栗が一つ埋められていた。
 ついさっきまで休む暇なく話し続けていた貴子は、黙々とフォークを動かしている。その動きが止まり、うつむいたのが美蘭の視界に入った。貴子は、魔法で固められてしまったように動かない。
 一粒、二粒と雫だけが動いた。お皿の上に水の粒が落ち、飛び跳ねるように弾けた。美蘭は驚いて、貴子のほうに顔ごと向けた。
「ダメに、なっちゃった」
 リビング一体がしんとする。母と父も手を止め、貴子のほうを見る。
「結婚のときに帰化することで進んでいたのだけど。大輔のご両親はずっと歓迎してくれてて、それが」
 貴子は、さらに深くうつむいた。美蘭も、父も母も、貴子の次の言葉を待つ。
「大輔のおばあちゃんが、大反対して。朝鮮人なんて、下等な血が混じるなんて、絶対に許さないって」
 次から次に落ちてくる雫で、白いお皿に小さな水たまりができる。母がティッシュケースごと貴子に渡した。ティッシュで涙と鼻水を拭うのに顔を上げた貴子の丸い両目は、真っ赤だった。
「あれ、おかしいな。甘いものを食べながら、人は悲しい話はできないっていわなかったかな」
 鼻をかんだ貴子は、沈んだ空気をほぐそうとする。
「大輔さんは、なんて?」
 母が寄り添う。
「そんなの関係ないと、おばあちゃんと何度も話してくれたのだけどね。卒業してすぐからだから、もう2年間ぐらい。私は会うことさえ叶わなくて」
 下等な血ーー。雷のような強い光が全身を貫いたあと、美蘭の内側は悲しさと悔しさでできた黒いものが満ちている。
「酷い言われよう。なんで、おばあちゃんが出てくるの」ひとりごとのように放つ。
 眩しいものを眺めるような、貴子のまなざしを感じる。貴子はもう何回も、この問いを自分の中で繰り返してきたのかもしれない。
「ほら、大輔の家は、おばあちゃんが創業した会社やってて、いまも女帝だから」
 貴子は諦めたように、ダイニングテーブルの一点を見つめながら話す。
 「女帝…」
 美蘭は反芻した
「私の振る舞いや性格で反対されるなら、いいのだけど」
 貴子の声は震えている。母は下くちびるを噛んでいる。父は肘をついた手であごをさすり、遠くを見ていた。何かを思い出しているようにも見える。
「自分たちの意志だけではどうにもならないことで反対され続けるとさ、私も大輔も、疲れちゃった」
 貴子は、泣きながら笑った。


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