鐘の音ひびく里帰り
先週末、祖母の一周忌へ行ってきました。
金曜の夕方に出発して、夜遅くに最寄りの駅に到着すると、母が迎えに来てくれていました。
土曜日の午前に法要とお墓参りをしたあとは、親戚一同で会食をしました。保育園児と小学生の姪っ子たちはおしゃべりが達者になって、二か月ぶりとは思えないほどしっかりしていました。同時に、両親や叔父たちはなんだか小さくなったような気がします。
自分も含め、みんな歳をとったよなあとしみじみ感じつつ、こうして親族が顔をあわせる機会をつくってくれた祖母に感謝しました。
実家に帰ると、自分のスペースというものがなくなりますね。
古い造りの我が家は、部屋の戸はあってないようなもの。目に見える空間も、目に見えない空間もオープンになって、遠慮なく出入りしてくる。
それは心地よくもあり、窮屈でもあります。
法要が終わってほっとしたのもつかの間。お寺での父のふるまいを、母はたいそう怒っていました。
よくよく話を聞けば、まったく父が悪い。でも、わたしは父のことを責められませんでした。なぜなら、母が怒っている理由は、夫がよくわたしを叱る理由と、あまりにも同じだから。
すぐに謝れない父をもどかしく思いながら、母の怒りが自分にも向けられているようで、いたたまれなくなりました。
最終日。
わたしに謝る母にメッセージを送って、ふうとため息。
実家へ戻るたび、ひとりじゃないことを痛感します。
家族がいて、それぞれ思いがある。あたたかさも、つめたさも、喜びも、怒りも、いろんな方向からまっすぐに飛んでくる。夫とのふたりの生活に慣れてしまったわたしは、その感覚を忘れてしまい、おろおろするばかり。
いまだ現役自営業の父のサポートをしながら家庭のことをこなす母は、我慢に、我慢を重ねている。もうずっと。
離れているぶん、まめに連絡を取らないといけない。
帰り道。
どこからか線香のかおりがして、お寺で聞いた鐘の音を思い出しました。
その鐘は、お坊さんのお経に合わせて「ゴーン」と高く硬い音が鳴り、細く長く響いて、いくつもの音が波のように揺れていました。
音色は螺旋状に重なって、やがてひとつになってゆく。穏やかに、静かに、余韻を残して。
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