忘れな草と、母のおもかげ
40歳を過ぎて、自分がだんだん母に似てきたなぁと思います。
こないだ、ふとショーウィンドウに映る自分を見て、どきっとしたんです。ガラスの向こうに、しばらく会っていない母がぼんやりと立っていました。
見た目だけでなくて、行動も似てきたような気がします。
新しいものに対して消極的だし、大きな声では言えないけれど、いまだに電話はガラケーです。それに、思い切りドアを閉めて手を挟んだり、冷蔵庫の前で何をしようとしたのか忘れて「あれっ?」と立ちつくしたり。
これって母がよくしていることで、まったく同じ行動をしている自分に笑いがじわじわとこみ上げてきます。
それに、花が好きなところと、自営業の家に嫁いだところも、母とおなじ。
◇
母は、小さな電気工事店を営む父と結婚し、わたしと3歳下の弟を育ててくれました。しかも当時は、祖父母や父の弟(おじさん)とも同居という、今の時代じゃ考えられない生活環境。
体力的にも精神的にも大変そうな母の姿を間近で見ていたわたしは、「母のようにはならない。将来ふつうの会社員と結婚して、ふつうのお嫁さんになるんだ」と次第に思うようになりました。
でもね、やっぱり娘。結局、父のように手に職を持った気難しい人を好きになって、自営業の家に嫁ぐことになりました。
両親の無言の反対もあって、なかなか踏ん切りが付かなかった結婚は、予想通り大変なことばかり。
でも、同じ立場になってみて、母の気持ちがよくわかるようになりました。泣きたくて仕方がないときや、逃げ出したくなるときがたくさんあって。楽しいことも嬉しいこともたくさんあって。お母さん、大変だったよね、と電話口で笑い合いました。
結婚してから母との結びつきがより強くなった気がします。
◇
母は、わたしたちの子育てがひと段落したころに、家のまわりに植えてあった松の木やコノテガシワを撤去して花壇を作り、ガーデニングを始めました。
花壇はふたつあって、ひとつはチューリップやオダマキ、クリスマスローズ、芝桜と、明るい色の花が咲くもの。もうひとつはムスカリ、すずらん、パンジー、ビオラ、涼しげな青い色の花が咲く花壇です。
そして、忘れな草。
それは5ミリくらいのあわい水色の花でした。ちいさくて控えめで、でもたくさんの花をつける姿がとても綺麗でした。この時は花の名前を知らなくて、母に聞いたんだっけ。
初めて忘れな草を目にしたときに思いました。ああ、母みたいだな、と。
まるで楽しいことやうれしいこと、悲しいこと、些細な出来事もぜんぶ、しっかりと抱えて生きる母のようで。そして、わたしを忘れないでね、と静かに訴えているようで。
◇
わたしも40歳を過ぎてから、植物や花が好きになりました。暇さえあれば公園や植物園に行って、たくさんの花を撮影しています。自宅にも花を飾ったり、鉢植えを育てて観察したり、花のある生活を楽しんでいます。
花が好き。そして、自営業の家に嫁ぐ。母と違う生き方を望んでいたけれど、不思議なことに同じ道を歩いています。
ちょっとあわてんぼだったり、感情表現が苦手だったり、重なる部分がどんどん増えているのがおかしくて、どこか誇らしくて、胸の奥がじんわり温かくなります。
今は県外に住む母とは、電話でのやりとりをするくらいです。
実家の近くに弟夫婦が住んでいて、母は姪っこのお世話にてんてこまいです。保育園への送迎を毎日して、ご飯をあげたり、一緒に遊んだり。走っても追いつかなくて困っちゃう、と言いつつも父と一緒に第二の子育てを楽しんでいるように思えます。
ふう。ガラスに映った自分に母のおもかげを見るのは、母に会いたいからなのかもしれないな。
母の顔と、忘れな草。早く会えますように。
2018年春 ガラケーで撮影
こちらの記事は、ともきち|165cmのホテルマンさんとyuca.|染葉ゆか(Yuca aiba)さんによるコンテスト『お花とエッセイ』へエントリーしたものです
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