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ブランド物にしか興味がない ブランド物最高

高価なブランド物が欲しい。あの、その辺のショッピングモールに行けば普通に売っているような諸々にロゴマークが付けられただけで3倍5倍時には10倍にまで値段が膨れ上がるブランド物が欲しくてたまらない!幸福度とかなり相関が薄いらしい権威性消費がしたくてしたくて、たまらない!

何故か?

よく資本主義は個人主義と、共産主義は全体主義と結び付けて考えられるが、果たして本当にそうだろうか?
金銭の流れは需要と供給のある所に発生する、金持ちというのは即ち需要のある場所に供給した人間のことであり、金稼ぎとは社会貢献に他ならない。汗水垂らしたその営み自体が本質的に社会貢献でありーアダムスミスではないが、個人の利益の追求は全体の利益と追求と概ね一致する。というか、しなかったものは違法となり規制の対象となる。よって全体に貢献する以外に道は殆どないと言って良いーそしてさらには税金だって払う必要がある。金銭というものが圧倒的に力を持つということは、繰り返すー全体にとって利するものが力を持つということだ。
だがしかし、それでも共産主義と資本主義は本質的に異なると言った向きもあるだろう。今お前が言ったようなことは言わば、あくまで「結果として全体に利することになる」という主張であり、動機の面においてそれぞれが自己利益を追求している、できるという点で、やはり共産主義とは根本的に異なるのだと、そう言える。
確かに資本主義は自分で得た稼ぎは自分で好きに処分できるという点において、共産主義よりも個人主義的であると言えるだろう。しかしそれは、自分で得た稼ぎが自分の利に利用できる時に限る。その稼ぎの使い道が募金しかないとしたら?それは個人主義とは程遠いだろう。
何を言っているんだと思うかもしれない。そんな仮定には意味がないだろう、と。
果たして本当にそうだろうか?
さまざまなインフラが諸各国と比較してもトップクラスに整いっており、美味い飯、衣服、住居程度なら大して稼がずとも保証されている。何なら生活保護という制度まである。
さらに言えば、今の中流、いや下流家庭の暮らしさえ(もちろん極端なケースは除くが)、日本の格安ブランドの衣服+格安自炊+格安アパート+エアコン+スマホだけでも、昔のどんな上流家庭にも手に入らない最高の暮らしだろう。季節問わず快適な温度を提供する魔法の機械、昼夜問わず世界と繋がれる魔法の機械ー生存だけでなく娯楽にも事欠かない。
日本で幸福になるためにーその自己利益の追求が、本当にたくさんお金を稼ぐことを帰結するのだろうか?その有限の時間を、時間を友人関係や恋人関係に使えた時間を投資することが、本当に?それは資本主義による壮大な刷り込みに他ならないのではないか?恐らくほとんどの人にとって、単に自分の幸福を目指す上で頑張って大金を稼ぐ必要など全くない。幼少期から絶え間ない競争に駆り出され、良い高校に行きいい大学に行きいい企業に勤めることが幸福であると刷り込まれる。果たして本当だろうか?当然でもあるが基本的に高給取りというのは激務である。それらコストと得られるもの、即ち幼少期からの闘争と激務ーによって得られる大半の人にとって余剰である金銭。これらの釣り合いは本当に取れているのだろうか?自己利益の追求と思い込んでいるそれは、本当に自己利益の追求になっているのか?結果、共産主義下にさえいない、大したメリットもないのに自らあくせく働く奴隷になっていないだろうか……?
まあ、このような具体例には事欠かない。他者からの目とかどうとかでブランド物が欲しくなるとか、個人的幸福を通常の金を稼ぐというロールモデルと同視させる社会的機構は枚挙にいとまがない。その欲求は空虚で、終わりがないというのに。承認欲求やコンプレックスなどからも資本主義にまんまと踊らされている者が大半だろう。
そんなこの世でお金を稼ぐということ。
最後にそれに対する俺の結論を述べよう。

とは言ってもそもそも俺は元々、ブランド物などに全く興味がなかったし、なんならあまり踊らされていない側の人間だったと感じる。だからこうして明確に自覚した以上は、尚更、勿論ー

否。

ブランド物が欲しい!!!!!!!

踊らされているということは、踊って欲しい人がいるということだ!
踊ってほしい者がいるなら全力で踊ってやろうではないか!それこそが余裕のある人間であり、俺の目指す所で、その踊って欲しいものが世界全体、世界に求められているのならば尚更だ!個人的幸福とは無関係であるからこそ!だ!俺はこの構造を明確に言語化して初めてブランド物が欲しいと思った。
冒頭でも述べたが経済とはプラスサムゲームである。金稼ぎはそれ自体が全体に利する上税金まで払えるのだ。素晴らしいことこの上ない。
高価な服、食べ物、家。その他単なる自己の幸福には余分な諸々。
それは余分であれば余分であるほど素晴らしい!
ロゴを付けるだけで成立、容易に作れれば作れるほど素晴らしい!無意味であれば無意味であるほど素晴らしい!ブランド物はそんな自分のスタンスを示す最高のメタファーとなる。基本的には誤解されるところも含めて素晴らしい。一般に、愚か者には誤解されなくてはならない。
俺は本当に自分の欲望というものが薄い。本当に薄い。というか、十分すぎる。日本の中流家庭で得られる衣食住を俺は求めるが、その時点で充分貪欲すぎると感じる。さらにはこのようなブログを書き、自己表現までできるというのに!他に何が欲しいというのであろう?基本的に他者にいい影響を与えるということにしかもう興味がない。余剰の金銭の消費は、俺に功を奏さなければ奏さないほど素晴らしい!その分コスパよく経済が動き、文明が発達し、芸術の余裕ができ、科学が進歩し、世界が、人類が成長していく!これほど素晴らしいことはない。俺は自分の欲求より、他者の!全体の!進歩にこそ興味がある。
ブランド物最高。ブランド物こそ最高の全体に対する貢献だろう。

デカい夢、デカい希望にデカい乳。

それが、俺のモットーだ。

近況報告 全科目80%超えをとっとと報告したいところ

弁護士資格はコスパが悪いとよく言われているようだが……まあこのような話をした後だと特に驚くべきことでもないな、と思う。というか生活保護なんて者がある時点でおよそ頑張ることがコスパ悪い。だからこそ!

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