安倍元首相の暗殺を受けて当日思ったこと
2022年7月8日金曜日はやや雲の多い晴れの日で、気温はそれほど高くなく、比較的過ごしやすい天気だった。12時が近づき、そろそろ(待ちに待った)お昼休みだと思っていたら、職場がなにやらざわついている。続いてテレビがつけられ、安倍晋三元首相が演説中に銃撃されたと報道されている。このニュースに接したとき、私はどんな顔をしていたのか分からないが、おそらく目を丸くし、マスクの中でポカンと口を開けていたのではないか。
しかし、驚きの念はそれほど持続しなかった。続いて私が感じたことは、日本史に残る歴史的な場面に立ち会っているのだという高揚感と、心肺停止とされる安倍氏が生存できるかどうかという野次馬的好奇心だった。食堂で定食が出来上がるのを待っている間に、散弾銃で撃たれた場合の生存率を検索していた。生存できるかどうかは、撃たれた身体の部位に大きく依存するらしい。食堂のテレビは単に「散弾銃で後ろから撃たれた」と報じるだけで、それ以上の銃撃の状況に関する情報はなかった。
だが、あまりにも遠くから撃たれた場合にはそもそもどの方向から撃たれたのかすぐには分からないはずであるから、ある程度至近距離から撃たれたことは確かだろう。また、銃撃から30分もしないうちに「心肺停止」と報道されているところを見ると、おそらく急所かそれに近いところを撃たれており、生存の見込みはあまりなく、即死の可能性もあるのではないか。アジフライを食べながら、私はそう考えた。
食堂のテレビは同じ映像を何度も繰り返すばかりで、今放映されている内容がさっきの繰り返しにすぎないのか、それとも新しく入った情報なのか、いまいちよく分からないのがかったるく、だんだん見るのが面倒くさくなった。私にとってテレビの情報が陳腐でしかなくなったころ、逆に今初めてニュースを知ったおじさんは、昼食を運びながら「え!?」などと独り言ちている。いまさら驚いているのが面白おかしく感じてしまった。
「安倍さんが亡くなったら国葬でもするのかな」「さあ」などという会話も小耳にはさんだが、一国民に過ぎない元首相をわざわざ国葬にするなんてナンセンスで、ありえないと即座に感じた。この会話を聞くまで、安倍氏を国葬にするという発想は、私の頭には微塵もなかったため、逆にどうやったらそんな発想ができるのだろうかと不思議に思った。
昼休みが終わり、午後の業務が始まったが、明らかに午前よりも集中力が落ちていた。一つには、安倍氏が生存するかどうかという関心がある程度持続していたことと、この事件が社会にどんな影響を与えるかという問いが仕事の合間にも湧いてくるからだった。もし安倍氏が生存すれば、人情にもろい人々の間で人気が上昇し、政治的影響力を一層増すのではないか。一方で死亡すれば、日本社会の間である種の喪失感と陰鬱なムードをもたらすかもしれない。また、安部氏の生死にかかわらず、今後の選挙活動での警備体制は強化され、銃規制の在り方に見直しが図られるだろう。あさっての7月10日に開票を控えている参院選については、安倍氏の狙撃事件が与党への追い風になるのではないか。世界の間では、日本の社会情勢の不安定化を懸念して円安が加速しないだろうか。等々。
夕方になって、安倍氏が死去したとの報道があった。享年67。早すぎる死だった。この時になって、ようやく私のなかでも、今回の襲撃事件を残念に思う気持ちが湧いてきた。本人にも、多分まだやりたいことはいろいろあっただろうし、やるべきこともあっただろう。その人が、そういったことを為す前にあっけなく死んでしまったのだから、それは残念で気の毒だ。しかし、率直に言って悲しみの感情といったものはほとんどなかった。
夕食にそばを食べながら、私は日経新聞デジタル版で安倍氏死去の記事を読んでいた。日経の記事には「専門家」の解説がついているが、「テロにより、意見の異なる政治家などを殺害、攻撃、威嚇することは民主主義と言論の自由への攻撃であり、許されることではありません。今回のテロ事件を改めて強く非難します。」(竹中治堅氏)というコメントがあった。私は反射的に、このコメントに違和感を覚えた。まだ容疑者の動機がよく分かっていない段階で、容疑者は安倍氏と意見が異なるとし、「テロ事件」と断定して非難しているのが、せっかちにすぎないか、という気がしたのだ。もっと丁寧に事実関係を追わないと、そもそもテロなのかも分からないし、非難のしようもない、というのが私の感想だった。
残業を終え、ようやく職場のホールを出るとき、安倍さんは辞める時も死ぬ時もやけに唐突だったな、とふと思った。そして職場を出ると、不思議と、安倍元首相暗殺事件のことはどうでもよくなった。
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