賞状
カバンの中身がぐちゃぐちゃだった。というか今もぐちゃぐちゃである。でも、変にこだわりがあって、大切にしたいものとかは、ランドセルとか制カバンに入れずに手に持って大切に持って帰ってた。そういう変なこだわりがあった。
小学生の頃まで遡るが、あの頃、図工とか休み時間に工作したりすることがすごく好きだった。スポーツが苦手だったり、外で遊ぶのが嫌だから室内で読書をしたり工作をしたりするのがすごい好きだった。今思えばなんてことないものだが、あの頃には宝物のようなもので、できる限りの資源で武器とか動物とかを作るのが大好きだった。
長い時間をかけて、でもカバンに入れたら崩れてしまうから、手に持って大切に持ち帰った。嫌いな奴とか上級生がそれを壊してきたりもして本当に嫌だったけど、何とか持ち帰っていた。今考えると完全にいじめだな。
しかし、家に持って帰っても、それらが認められることは無かった。母親はどうせ明日には遊んで無いんでしょとか、しっかり片付けないから置きっぱなしにしてたら捨てるからねと言うばかり、父親は仕事疲れてるからあとで見るねと言ったが見たとして褒めてくれることはなくて、ここもう少しこうじゃない?とか色違くない?とかだったので、いつしか学校で作った工作は、低学年の子に上げたり、図工の先生に預けたりするようになった。
しかし、そのような創作意欲だったり、1人で絵を書いていたりしていたからか、絵で賞を貰うようなことがあった。小学生でこども県展で入選1回特選1回。中学ではJRのポスターコンクールで優良賞を取った。僕の絵が電車内に飾られるということだ。
あまりクラスでの立場が高くなかったので、こいつの絵よりあの子の絵の方が上手いのにねとか、言われたりしたが、聞こえないふりをしたり愛想笑いをした。こうしてみると、そりゃ周りの大人が変に大人びてて気持ち悪がられるわなって思うな。ああいう賞って賞をとったらすぐ賞状を貰ったりする訳ではなくて、最初に口頭で賞とったよってことが伝えられて、それから遅れて賞状が帰ってきて絵が帰ってくる。さすがに賞をとった時は両親も褒めてくれた。すごいじゃんとか頑張ったねとか。だから、賞状もお家の広いとこに飾ってくれるのかなとか思ってた。さすがに子供なので。いざ、賞状を受け取ったら額縁に入れてくれたけど、飾るスペース開けられないから自分の部屋に置いといてねみたいな感じだった。多分両親は覚えてないけどね。だから、部屋の端っこに飾った。2回目の表彰の時には額縁が与えられなかったので、1枚目の賞状に重ねて飾った。
中学生の頃には、ひねくれが完成してきていたとはいえ、電車に飾られているとなるとさすがにテンションが上がった。先生から、「この路線に飾られてるらしいよ。せっかくだし見に行ったら?」と言われ、僕も見に行きたいとおもった。早速両親に話した。2人は忙しいらしかった。まあ確かに僕も中学生になって、お金がかかることも増えたと思うから仕方ないかと飲み込んだ。しかし、当時お小遣いも貰っておらず、自分で少し離れた路線まで電車を乗りに行くお金も無かったので、結局電車に飾られた、自分の絵を見ることは無かった。後日、たまたま少し遠くに住む友人から「同姓同名?」とLINEが入って、電車に飾られた、僕の絵の写真が送られてきた。恐らく、あまり人に認めて貰えなくて、人に話すことを辞めてたんだろう。「俺の絵だよ!笑あんま上手くないけど!!笑」と返信したとこまでは覚えている。
電車に飾られていた期間が終わり、賞状と絵が送られてきた。でも、僕にはもうそれは大切じゃなかった。賞は取ったものの、あまり人に褒められず、僕には何も残っていなかった。賞状と絵を折り曲げてぐちゃぐちゃの鞄に詰め込んで帰った。自己肯定感を失い、承認欲求が上がり、ひねくれ始めたのはそこからなのかもしれない。ちなみに、折り曲げて持って帰った賞状はもちろんのこと軽くあしらわれた。あれ以降、何かで賞状を貰っても、喜びを感じることはなくなった。まあ別にあれ以降賞状貰ってない気するけど。
別に、両親のことは嫌いじゃないしめちゃくちゃ感謝してるし、高校も大学も私立で迷惑かけてるし、暴力なんか受けたことない。でも、単純に褒められたことは無い。少なくともほとんど記憶にない。まじで、1、2回じゃないかな。家族ぐるみで参加した大きい祭りの時に1回。でもあの時も別に両親は直接的に褒めてくれた記憶は無いな。あれ?褒められたことない???純粋に褒めて欲しかっただけなんだ。テストの成績自分で頑張ったなって時にも褒められたことはなかったし、逆に平均点が低い上ではかなり高い点数を取っていても、前よりも高い点数をとっても、母親の決める基準の点数より低い点数をとったらめちゃくちゃ怒られた。色んなものを禁止されたり、お年玉を没収されたりした。普通に酷い話だなこれ。別に昔の話なんでいいですけど。普通に病んだな。高校生の頃に、めちゃくちゃ勉強して、お笑いライブを見るため、そしてお笑いサークルに入るために、東京の大学を目指そうとしていたが、両親は許してくれることは無くて、結局僕は勉強をする意味を問いただせ無くなって、同時にコロナ禍も重なって友達がいなくなって勉強をしなくなった。高一の頃には、学年上位を争っていたが、高二の後半ではクラス最下位を争うようになっていた。それはそうだ。天才じゃなくて、勉強をしないと何も出来ない努力タイプでしかないから。僕の、東京のお笑いサークルへの執着が異常なのはこれが理由です。これに関してはちゃんと別でnoteにします。めちゃくちゃ長いので。
だから、僕は純粋に僕を褒めてくれる年上に懐くのかもしれない。でも、人って裏切るし簡単に見捨てるから人を信用出来ることなんてもう無いのかもなって思ってます。ごめんなさい。
何者でもない僕は、今日もぐちゃぐちゃの鞄を手に持って見えない未来に向かって歩く。ああ。どうして生きていこうか。
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