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“憧れで始めて殺意で続ける”

この言葉は私の支えのひとつ。
本当にその通りだと思う。

私が演劇を始めたり、音楽を始めたりしたきっかけは“憧れ”とは違ったけれど、続けるのに“殺意”は必要だった。


本当に誰かを殺したいとは思っていない。
どれだけ腹立つ人がいても、その人のためにわざわざ体力を使って憎んだりはしない。
その“殺意”に対象は居ないのだ。
(元の言葉の真意ではなく、あくまで私の捉え方としてです)

いやいや、
それじゃ殺意は成り立たないだろって思うかもしれないけど、
自分の中では成り立ってます。
理屈じゃないやつ。心の内側にそれが居る。

強いて言うなら、会場の空気を刺しに行く、みたいなこと。
絶対に今日誰か一人でもお客さんの心臓を刺す。
今まで無視してきた奴らが振り向くほどでっかい言葉の銃をぶっぱなしてやる。
ある種の復讐とか、目標設定かもしれない。

ちょっと物騒…?
でも、楽しいだけじゃ私はステージには立てないし、楽しくて幸せな時間を誰かへ届けるためにはそれとは真逆の心臓が必要だった。


ライブの時に使うバロメーターが私の中にあって、メモリの端が外側と内側。
外側に向けば向くほど場を見れるし、内側へ向けば殺意を含めた心に居る色んなものが出てくる。(これを使ってもっと上手いことやりたいけども!)
一度、内側へ全振りし続けてみたら、いつもと違う集中力を発揮した。
飲み込まれそうになって、果たしてこれは“アイドル”か?とか考えたりした。
そしてあの集中はすごく、居心地が良いとさえ思ってしまった。


ライブの時でなくても、
“あー、もうマジで殺す”
って言ってたりする、虚無に向かって。
怖いね。そんな独り言やめた方がいい。
もう一度言うけど殺したい相手は本当にいない…。

なんでもない時にもふと出てくるそれは、今に始まったことじゃないから何なのか分からないけど、私が私であるには必要な心なのだと思う。
絶対に許せない、譲れない何かがずっとあるんだ。


なんだか終始怖い話になってしまった。
みんなにあるのは愛だよ、これは本当に。

これからも私は“殺意”を抱きながらライブをするし、日々を生きる。
誰かにぶちまけるのではなく、内側に。
飲み込まれない程度にね。


垢BANされませんように…。


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2024年7月12日(金)@下北沢ADRIFT
THE ORGANICS 2nd Oneman Live
"Synergy"

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