『眠い奴ほどよく眠る』第四夜


夕方の町を歩いている。兄と一緒に喋りながら、ダラダラと。愛犬の散歩をしているのだ。

どうでもいい世間話やら、この間観た映画の感想、今年の花粉はヤバイらしいとか。


しばらく歩いていると、向かいから真っ黒いワンピースを着た綺麗な女性が、大きく太った猫を連れて歩いてきた。

『見覚えがある気がするけど…誰だったかな…』

考えている間に女性との距離が段々縮まってくる。

答えも出ないまま、ついにすれ違ったその瞬間、フワッと風が流れた。涼しい爽やかな風じゃなく、ぬるくて汗ばむような、格好悪い風。


初恋の女性だった。

学生の頃に付き合った人で、今はもうどこで何をしているかも分からない。

結婚したのか、していないのか。

どこで暮らし、何の仕事をしているのか。


もう随分と昔の印象しかなかったが、面影はあった。すれ違い、彼女に気付いた時、息が止まった。呼吸を忘れてたのかもしれない。

向こうは、僕に気付いたかな?気付いたとしても、こっちを気にしただろうか?

兄に動揺を見せないように歩く、ただ歩く。今まで通り、兄の話に何となく頷きながら歩く。愛犬が冷やかすように、こちらをチラチラ振り返る。


息が止まってから、どれくらい経っただろうか。

町は暗くなっていた。町の明るさにも気付かないほど、あの一瞬で僕の目の光は奪われたのか。

「帰るか。」

家路につこうとした、その時、草むらに向かい、急に愛犬が吠え出した。今にも噛みつきそうな勢いの愛犬を制止した。

草むらの中を身を屈めて、覗き込んでみると、さっきの猫がいた。彼女に連れられていた大きな猫が、じたばたと暴れている。

首輪のリードの先が、枝に絡まって身動きが取れないみたいだ。

「ちょっと!明かり、明かり!」

愛犬を兄に渡し、地面に這いつくばって草むらの奥に手を伸ばす。そんな弟の手の先を兄がケータイの明かりで慌てて照らした。

『う……もう少しで…外れる…!!』

暴れまわる猫の爪や牙で右腕がどんどん傷つき、血が滲んだ。けど、夢中だった。必死でもあった。

「外れたっ!!!」

その瞬間、大きな猫はブワッと駆け出し、狭くて暗い路地の方に逃げてしまった。

そっちの方に行ってみると、薄暗い中、遠くに大きな猫が見えた。仲間の所へ帰るかのように、こちらに背を向けてリードを引きずって歩いていた。

そして、猫の姿が闇に消えた時、背後から誰かが僕に話しかけた。


「その声、懐かしかった。ありがとう。」


振り返ると、小さくて綺麗な黒猫が、街灯のぼんやりとした明かりに照らされていた。


その綺麗な黒猫が、僕に会釈をしたような気がした。そして、そのまま、大きな猫が行った方に消えていった。


そうか。今は、ここで幸せに暮らしてるのか。



ボーッと立ち尽くす泥だらけの僕を、兄が笑った。



To be conti入眠...

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