『眠い奴ほどよく眠る』第三夜



これからしばらくは、このゾウの子どもと暮らす事になった。

僕が芸を教え込まなければいけない。責任ある役割だ。


芸を仕込む側と、それを披露する側、一心同体になっていく為にも僕は、ゾウと一緒に寝泊まりしていく事に決めた。


案内されたのは、木造の狭い狭い部屋。小さな窓が1つある。それ以外には、ベッドもイスも何も無い。

ゾウと僕が座ると、部屋は ほとんど埋まってしまった。

『まぁ、いいか。この環境で人と住むよりは良い。しかも相手は、アフリカゾウより遥かに小さいアジアゾウだし。』

それにこの部屋には、窓がある。窓枠が額縁となって、遠くにそびえ立つ山々を小さな絵画に変えた。日本では見られない荒々しく雄大な景色だ。

そんな絵画の隅に現れた大きな夕陽を、ゾウは つぶらな瞳で眩しそうに見つめている。

「きみは、どこから来たの?」

「…あっち の へや!」

ゾウは、ぎこちないカタコトの言葉で答えた。

「それは、さっき居た場所だね。そうじゃなくて、きみはどこで生まれたの?」

「あぁ……わからない! わからないだけど、とおく とおく の もり!」

「そうか。」

きっと今より幼い頃、よく分からない内に森から、この村に連れて来られてしまったのだろう。ゾウにはニコリと笑って見せたが、複雑な気持ちだった。

『あーあ、何でこんな仕事を受けちゃったんだろう。そもそもサーカスの類いは大嫌いなのに。』

小さな部屋に気まずさが充満して今にも破裂しそうだった。我慢できなくなり、口を開いたのは僕だった。

「あ、買い物に行ってくるよ!少しの間、一人で待ってて!」

近くの市場に出かけた僕は、今晩、ゾウと食べる物と、すりこぎ棒を買った。

すりこぎ棒は、料理に使うんじゃない。ゾウへの芸の仕込み用だ。

皮膚が厚いゾウに芸を教えたり、指示を出す時には、小さな鎌のような道具でゾウを叩くようにして合図する。

『いくら皮膚が厚いからと言っても、先が尖った物で叩かれるのは誰だって嫌だろうなぁ。』

僕があのゾウに教える時は、この先の丸い すりこぎ棒で合図するつもりだ。


「ただいま!ご飯にしよ…」



ゾウは居なかった。


『そうか。出ていったか。良かった。良かったぁ。』


きっと、もう、ゾウが帰ることはないだろうと思うと、内心、ホッとした。無理に人間との暮らしを強要しないで済む。


ただ、ほんの少ししてから、悲しさも湧き出した。

きっとあのゾウの瞳には、僕という人間が、他の酷い人間と同じように映ったままだろうな。

これからそれを拭っていきたかったけど。まぁ仕方ないか。

ご飯を静かに傍らに置き、さっきと同じ場所に座り込んだ。何も変わっていない。


ただ一つ違っていたのは、満天の星が光り輝く、どこか清々しい絵画に変わっていたこと。




To be conti入眠...

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