生徒を見るということ
英語の授業で生徒に音読させるってのは、どの先生でもやってると思うんだけど、生徒が音読させているとき、先生って何やってるかという話。
ほとんどの先生は教科書を見ている。生徒と一緒に音読している先生もいる。研究授業等で見学している先生も音読のときには教科書を見ている。
これ、ダメだと思わん?
ということで「オレ流」監督の視点をみなさんにシェアします。
まずはこれ。もう10年前だけどオレ流監督の「参謀」、森繁コーチの弁。
・教えるな、余計なことは一切するな!がコーチの第1条。
・見とけ。何も言うな。選手の反応を見るのがコーチの仕事。
次はオレ流監督の弁。
8:14くらいから
・ちゃんとSOS出すよ、選手は。それをちゃんと見てあげられるかどうかじゃない。見ない人もいるけどね。
わかるかな。
つまり、音読の時は生徒を見るのが先生の仕事だと思うわけ。CDの後についてリピートなんかやらせているときは、別に先生は教科書見なくてもいい。それよりも生徒を見て、聞いて、必要ならフィードバックするのが大事じゃないのかね。ましてやCD流しながら自分が音読する必要なんて全くなくね?確かにRepeat after meして、先生も教科書を読まなきゃいかんときは生徒を見るのは難しいけど、見るように心がけてれば慣れてくる。そういえば、大学の英語科教育法で習った故若林俊輔先生は「授業に教科書を持っていくな。中学、高校の教科書くらい暗記できないやつが教師をやる資格はない」と言ってたなぁ。
今後は音読のときは「生徒を見る」ようにしてみましょう。
もちろんそれ以外のときも生徒をもっと見なきゃいけないような、と他の先生の授業を見るたびに思う。自分もそうだけど、英語の先生は教科書やプリントと黒板(最近は電子黒板に写すPC)ばっか見て、生徒見てない。だから生徒が寝ていてもうわの空でも気がつかない。で、テストの採点して「授業であんだけ説明したのに全然できてないっ!」て怒ってる。
いかんがね。
ちなみに2番目のオレ流監督の動画でこのセリフ(「SOS」のちょっと前)も、なかなか先生にとっては大事なんじゃないかと。
江:落合さんが、(選手を)今日は使おうかなっていうレギュラーの人は
どういう基準で決めているんですか
落合さんの技術に近い人とか?
落:いやあ、俺の技術を誰がマネできるの
江:そりゃ、わかってます、マネできないんだけど・・
落:それを要求しちゃいけないんだよ、選手には。みんな、このくらいのことはやれるだろって考えるでしょ?監督っていうのはそうじゃない?「なんでこんなことができないんだ」って。できないから練習するの。できるように、手助けをしてやらなきゃ。だから、今持っている、今やれていることを、やってさえくれればいい。でも選手っていうのは、やれないことをやろうとするじゃない。だから空回りするんだよ。やれることをちゃんとやってくれればいい。
「なんでこんなのもわからないんだ!」「こんなの中学生でもできる」って言ってる先生、見たことないですか?
授業ではもっと生徒をみて、生徒を「手助け」しましょうね。
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