文構造という病

高校の英語ではやたらと「文構造」を理解することが大事と言われる。

英語の先生は大好きだけどほとんどの人が大嫌いなS, V, O, C, Mとか、どこがどこにかかっている、とか。

生徒も「文構造がわからないと英語は読めるようにならない」と言われているので質問に来ると「文構造を教えてほしい」と言う。で、しっかり教えたうえで意味を言わせる(か、和訳させる)と、ちょっと何言ってるかよくわかんないことを言い出す。

本当に文構造がわからないと読めない(=意味がわからない)のか?

オレは逆に「意味がわかるから文構造がわかる」と思うのだが。

今教えている教科書(PROMINENCE English Communication II)にこんな文があった。

... we can see the shadows of war hovering over the peaceful life in Moomingvalley.

「Teacher's Book(朱書編)」という、外見は生徒の教科書と同じなんだけど、問題の答えや文法ポイントなどが「朱色」で印刷されている先生用アンチョコ教科書(価格は3,000円。もちろん先生が自腹で買うのでなく税金で買ってもらってる)を見ると、hovering 以下は「現在分詞の後置修飾」と書いてある。つまり「漂っている戦争の影」ということ。

でも、この文、seeという知覚動詞なので、「see + 目的語 + 現在分詞」で「~が~しているのを見る」とも解釈できる。知覚動詞のパターンは文法の授業でも先生が強調するところなので、Teacher's Bookの通りに教えたときに「先生、これ知覚動詞じゃないんですか?」という質問をする生徒がいるだろう。

そういうときどうすんの、先生?

同じ教科書の別のレッスンに、こんな文がある。

In many places, you see huge signs and colorful banners advertising family restaurants, ramen shops, gas stations, convenience stores, and so on.

このadvertisingにも「現在分詞の後置修飾」と書いてある。この場合は、まぁ「芸術家が描いたような芸術的なsignsやbannersではなくて、ファミレスなんかを宣伝しているsignsやbanners」という意味にとるのが自然なので「現在分詞の後置修飾」でいいんだろうけど。

そうなのだ。「こういう意味のとるのが自然」→「文構造はこれ」という順番じゃないのかい?というのがオレが言いたかったこと。

意味を無視して構造だけを分析すれば当然知覚動詞にとってもいいはず(よくない、という人がいたら教えて)。なので、結局は意味がわからなきゃ文構造は分析できない。そして、入試に「文構造を分析せよ」なんて問題は出ないので、意味がわかればそれでよい。なので、文構造なんて教えなくてよい。

ということにならんかね。

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