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そう遠くない障害の世界

 少し前の出来事だが、障害児の親として60人程度の前で自分の体験を語る機会があった。聞き手は普段、障害児者の支援をしている方々だ。
 まずは話し手である自分と聞き手の距離を縮めようとし、開口一番「こんにちは!美人がやってきました」と元気に挨拶をした。こういうのは、ご年配の方には特に受けがいい。
 前半は重度知的障害のある息子の成育歴を大変だったことを交えながら話し、後半は支援者に知って欲しいことを話した。その知って欲しいこととは、本記事の題名にある「障害の世界は遠くない」ということである。

 私の息子は先天的に知的障害を負っているが、この社会には後天的に障害を負う方々だって多い。例えば交通事故で身体障害を負う人だっているし、何らかの理由で視覚や聴覚の障害を負う人もいる。突発性難聴で全聾者になった人を私は知っている。双極性障害を患って自死を選んでしまった私の弟だって、もしかしたら精神障害があったかもしれない。(双極性障害は、脳の機能障害だということは認識しているが、現在の福祉制度上、精神障害に分類されるため、このように書く)
 いつ誰が社会的弱者となるか分からない、障害の世界はそう遠いものではないということを伝えたかったのだ。

 人間は事故や病気等で突然障害を負うことがある。障害を負わなくたとしても人間は必ず老いる。つまり、人間は必ずどこかで社会的に弱い立場となる。だから、障害の世界をそう遠いものと思わないで欲しい。当事者である私から聞き手にそうお願いした。

 時折、SNS上で障害児者やお年寄りに対する目を覆いたくなるような意見に触れてしまうことがある。私は、常日頃から自分が放った言葉は、自分の中に沈殿して少しずつ堆積するものだと思っている。もし悪意に満ちた言葉を放った人が障害を負ったり、加齢で思うように身体を動かせなくなったりした時、自身の中に堆積されている言葉に呪われてしまうような気がしている。
 人生は苦しくも楽しいものなので、そのような言葉に呪われている暇はない。

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