てんかんと私④

靴が、靴が
 父に無理矢理乗せられた車の中で幼い私は必死に訴えている。
「靴なんて後で買ってやる」
 靴なんて本当はどうだっていい。ただ、車から降りて母のところへ行きたいだけだ。


 朝、気がつくと母が泣いている。両手で顔を覆い、
「地獄だ」
 そう言いながら泣いている。
 母に何が起きたのか分からないまま、私と妹、そして弟の3人は父によって車に乗せられてしまった。妹も小さいけれど、弟はまだ赤ちゃんだった。
 どうしても母の元へ戻りたい私は、泣いてお気に入りの靴を取りに戻りたいと父へ訴えた。そんな願いが叶うわけもなく、私たち3人は父の実家へ連れられてしまった。何が起きているのか、母は大丈夫なのか、そんなことばかり考えていたような気がする。
 その後数時間の記憶は無い。ただ、その日の夜にそっと開けた襖から見えた叔父の表情で何か大変なことが起きたということは容易に理解できた。無口で穏やかな叔父が見たことのない表情で座っている。その隣には叔母。叔母の怒った表情は見慣れているので、何とも思わなかったが、叔父は違う。呑気に煙草を吸っているいつもの叔父ではない。

 何年も後から分かったことだが、この日は親族が雁首揃えて離婚について協議していたらしい。
 母に暴力を振るったのも不倫したのも父なのに、どうして子ども達3人を連れ去ったりしたんだろう。妊娠させた不倫相手と一緒になるつもりならば自分だけ家を出れば良いではないか。長年そう疑問に思っていたが、最近ようやく分かってきた。父は母に嫌がらせをしたかっただけだ。相手の嫌なことをして徹底的に痛めつけ、立ち上がれなくする。男の方が女より上だと思っている。女のくせに俺の不倫を咎めやがって。まあ、こう考えていたのだろう。父は生粋のミソジニー野郎なのだ。

 あの朝、母の泣いている姿と
「地獄だ」
という言葉、その声まで鮮明に思い出すことができる。靴を取りに戻りたいと訴えても父から心底迷惑そうにされたことも。母にとっても、そして、私にとってもあの朝は地獄だった。

 離婚が成立しても養育費を払わない父に対して母は給料から差し押さえる措置を取った。その措置に怒り狂った父が深夜に何度も我が家のドアを物凄い勢いで叩き、怒鳴り散らしていたことも鮮明に覚えている。

 そりゃあ、てんかんも発症する。私はたった6歳だったのだ。そんな子どもがこんな地獄に耐えられるはずもない。

 今日まで生き抜き、そして明日も前向きに生きるであろう私を自分は心の奥底から尊敬している。なんて素晴らしい人間なのだ、私は。そんな私に今度、ガリガリ君チョコミントを奢ることにしよう。しかも2個。

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