てんかんと私⑤(終)

 前回、自分の父親を「ミソジニー野郎」と総括したことが、自分の心堪えたようで、なかなか文章を書く気になれなかった。30年以上会ってはいないし、これからも会うことは無いとはいえ、やはり自分の親がクソ人間であることを認めるのは気の重いことであった。
 以前読んだ「毒親」に関する本でこのような記述があった。毒親に育てられた方が、たまたま親に心に響く言葉を掛けられ、それを周囲に吹聴して歩くのが楽しかった、と。
 「親」とは難しい。生まれたての赤ん坊にとっては人生で初めて自分の世話をしてくれる神様のような存在だし、親の理想ばかり押しつけられると自分を呪う悪魔のような存在にもなる。
 日頃どんな仕打ちを受けても、親が気まぐれにかけた言葉が、ちょっとした優しい行動が、子どもにとっては飛び上がる程嬉しいものになり得る。

 でも、やっぱり私の父はクソ人間だ。こう書きながら、少しだけ落ち込んでしまうが、幼い子どもの前で配偶者に暴力を振るうなどという行為は、配偶者にとっても/見ていた子どもにとっても酷い人権侵害である。


 虐待、暴力、いじめ、ハラスメント……。社会には様々な人権侵害が蔓延している。このような人権侵害を受けると、脳が傷ついて機能不全を起こす。全員ではないだろうが、私の場合は、てんかんが発症した。決して心の弱さ故にてんかんが発症したのではない。加害によって脳を傷つけられたのだ。(自分で書いておきながら変だとは思うが、そもそも心に「弱い」「強い」の概念があってたまるか。扇風機ではないのだから。)

 悲しいことだが、虐待、暴力、いじめ、ハラスメント……は珍しいことではない。だからこそ、誰が・いつ被害を受けててんかんを発症してもおかしくない。「誰でも発症する可能性がある」ということをこのnoteで書きたかった。
 てんかんに対して、差別や偏見でなく、理解の輪が広がるように書いたつもりだ。


 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

(終わり)

 


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