アメリカンウイスキーってなんだ?
禁酒法は、アメリカのウイスキー史に多大な影響を与えた。
密造の歴史の中で、進化を進めた酒の話。
■トウモロコシが主原料のバーボンウイスキー
アメリカンウイスキーとはアメリカで作られるウイスキーの総称であり、
主な物に
●ストレートバーボンウイスキー
●ストレートライウイスキー
●コーンウイスキー
●ブレンデッドウイスキー
などがあるが最もポピュラーなものが
バーボンウイスキーである。
1948年に制定された連邦アルコール法における
アメリカンウイスキーの定義は、
穀物を原料にアルコール度数95%以下で蒸留し、
アルコール度数40%以下でボトリングしたもの。
バーボンの定義は、
原料となる穀物の51%がトウモロコシであり、
アルコール分80%未満で蒸留し、
内側を焦がした新しいホワイトオークの新樽を
使わなければならない。
これが、2年以上熟成されると
ストレートバーボンウイスキーとなる。
生産量は、全体の約半分をストレートウイスキーが占め
その大部分がバーボンとなっている。
■バーボンウイスキー名前の由来
19世紀に入り、現在のケンタッキー州、テネシー州に多くの
移民が移るようになり、西武の開拓が進むと、
ケンタッキーのウイスキーは樽に詰めて
オハイオ川を下り、さらにミシシッピー川を下って
南部のルイジアナ州やニューオリンズ州の港町に運ばれる
ようになった。
なぜ、バーボンウイスキーと呼ばれるようになった
かと言うと、バーボン郡で作られたというより
出荷されたオハイオ川沿いの港が主に、
バーボン郡にあったということで、
バーボン郡出荷という刻印が樽に押されるようになった。
そのことから、ケンタッキー州で作られるウイスキーを
バーボンウイスキーと呼ぶようになったという。
■アメリカにおける禁酒法
アメリカはキリスト教の影響で、禁酒に対する考え方が
元から根強くあり、19世紀の半ば頃から禁酒運動が
盛んになっていく。1914年に第一次世界大戦が
始まった頃、アメリカでは穀物を原料としている
お酒に対する風当たりが強くなった。
1919年ついに禁酒法は議会を通過した。
禁酒法とは、アメリカ国内においての飲用目的の
お酒の製造、販売、輸出入の禁止を謳ったものだった。
しかし、この禁酒法では、お酒の飲用については
禁止をしていなかった。
そのため、法律施行までの1年間の
猶予期間の間に、お金のある人は膨大な量の酒を
溜め込んでいた。
禁酒法で巨万の富を築き上げた人物の1人として
イタリア系マフィアのアル・カポネがいる。
禁酒法以前は売春や非合法の薬などで生計を立てて
いたのに対し、禁酒法施工後は酒の密輸・密売で
富を得ていた。
飲酒については何のおとがめもなかったこの法律は
ギャング達が手を汚して富を得て、その恩恵に
預かった人にとっては最大のザル法であったのだ。
■テネシーウイスキーとバーボンウイスキー
テネシーウイスキーとは、ケンタッキー州の南にある
テネシー州で作られたウイスキー。
製法の条件はバーボンウイスキーと同じだが
ただ一つ異なるのは、テネシーウイスキーは、
蒸留直後のスピリッツを、チャコールメローイング製法と
いうサトウカエデの炭の層をくぐらせて濾過し、樽詰めを
行う。ケンタッキーやその他の州では、チャコールメローイング
製法を行っていないため、テネシーウイスキーは
バーボンウイスキーと区別されている。
バーボン
テネシーウイスキー
■アメリカンウイスキーの歴史①
18世紀にスコットランドやアイルランドからやってきた
スコッチアイリッシュと呼ばれる移民たちによって
アメリカのウイスキー造りは始まった。
独立戦争により莫大な借金を背負った独立政府は財政難に
陥り、そこでウイスキーに対する課税が決められた。
それに対して農民たちが反発し、94年のウイスキー大反乱に
発展。課税を嫌った農民達が当時まだ国外だった西の
ケンタッキー州へと移住。
そこで豊かに取れるトウモロコシと、バーボンの仕込みに
欠かせない
”ライムストーンウオーター”があった。
■アメリカンウイスキーの歴史②
最初にケンタッキーでウイスキーを造った人には諸説あるが
1783年にルイビィルで、ウェールズから移民した
エバン・ウイリアムズが最初とされる。
しかし、現在のようにトウモロコシを原料にしたのは、
1789年にスコットランドから移民したエライジャ・クレイグ
だとされている。
ケンタッキーでは彼のことを、”バーボンの祖”と呼んでいる。
どちらにしても初期の移民はウエールズやスコットランドという
ケルト系の民族であったことが、ここからも伺い知ることができる。
今回はここまで。
スラーンジ・ヴァー 乾杯!乾杯!乾杯!乾杯!
今夜も良い夢を!
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