燃やすことが出来たら

さて、関ジャニ∞という概念に失恋したという概念をぶつけてみたわたしですが、次にすることはやはり「思い出の品を処分」ですね。

嫌になって別れたなら清々しく綺麗さっぱり捨てられるものなのに、あんなに好きだった人(概念)のものはそう簡単に捨てられないと気づいてしまった。服(グッズ)を見ては「これまだ使える、あんまり着てなかったし」とかバッグ(グッズ)を見ては「これは地域限定だし使える、これは使いにくいけどかわいいよね」みたいな状況になる。雑誌の切り抜きは、あんなことあったな、懐かしいな、あ、この作品の雑誌祭りは全て顔が最強…と、ずっとこんな始末なので一部はもう確認せずにゴミ袋に突っ込んでみた。そんな山が多分10個は出来るに違いない。燃やした方が早いってやつ。お焚き上げですね。時期も良いではないか。ただそんな場所もなく、一斗缶は100均で見たことないしホームセンター行くしか、みたいなことになる。

きっと感情の問題でお焚き上げは出来ないのかな、などとも考える。

丸々気持ちを残したまま、綺麗に捨てたい。文章にするとそんなところか。

物理的な場所もないので本当にさっさと捨てるしかないんだけど、執着というものは、なかなか体から頭から、離れてくれないものだね。離そうと思っても簡単には出来ないものだ。もう絶対に見つめ返したりしないのに。

あまり一気に捨ててしまうとさっぱりするというよりもそのスペースのことを思って寂しくなるんだろうな、と納得させることにして、今回はとりあえずゴミ袋に入れた分をそのまま回収してもらうことにする。今はそれでいいや、と。


空いたところに入れるのはもう同じ人じゃないんだな、ということを考えながら。

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