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「森田くんは、木々のざわめきや葉っぱにのった朝露、朝日に照らされて光る蜘蛛の巣を見て、美しいと感じていますか?」


この質問を投げかけられたのは、
2年前の夏、知り合い何人かと一緒に新潟の森でキャンプをしたときのことだった。

どういった経緯でこの話に繋がったのかは覚えていないが、
質問をしてくれた彼はキャンプ以外の場所でも
「人と自然の距離感と、人と心との距離感は比例する」
といつも教えてくれた。

寝泊まりしたデカテント

冒頭の質問をした後、彼はこう続けた。
「森田君は他の人と比べて、
整備されていないドロドロの道や虫に怯まず、ズンズンと森の中に入っていきますよね。
だから、自分や他人の心にアクセスすることに抵抗はないのだと思います。

でも、とても微細で、
あたかも草葉の朝露のきらめきのような
とても小さな心の変化に目を向けていますか?」

当然、伝えられたときの僕は内心
「はあ~?」と思っていたし
その後もしばらくこの言葉の意味はわからなかった。
自然と心が関係するってなんやねん。
自分の小さな心の変化を愛でてどないすんねん。

2年という月日が経った今でも、完全に理解できたわけではない。
でも一つわかったことは、自分にはもっと「感じる」時間が必要だったということだ。

毎日誰かの気持ちを推し量ったり、自分の言動に細心の注意を払うことを必要とする、そんな世の中を真っ当に生きるためには「考え」なきゃならない。
しかし考えすぎてばかりいると、自分は何が好きでなにが嫌いか、つまり自分の心のアンテナがすこしずつすこしずつ歪んでいき、受信できなくなっていく。

だからこそ、
なんか今日のそよかぜきもちいいな、とか
あーこのコーヒーうまいな とか
何気ないけどありがとうって言ってもらえるって嬉しいな とか

多分だけど走馬灯には出てこないであろう、
とても些末で微細なこのざわめきが、
私に人間性を取り戻させてくれるのかもしれない、と今は思っている。

とても偉大な「些細」の話。

めちゃくちゃ土砂降りだったなあ。雨の重さでテントも壊れた。


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