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私の「日高屋」論を聞いてください

私は日高屋を愛しています。

どの日高屋も店内は雑巾の匂いがして、中華そばのメンマは本当に不味いです。私は味音痴だなと感じることが多いですが、あれは美味しくないと思います。

店員さんはアジア系の外国人で、注文は繰り返さないし、そばを置いたら何も言わずに去っていきます。

見渡してもいただきますなんて言うお客さんはいなくて、いつ誰が隣の客に殴りかかるかわからない、緊張感が流れています。

上に書いた全てを、私は愛しています。



私が小さい時には、橋の下に水色のビニールシートを駆使して家を建てて、小学生にザリガニの釣り方を教えるホームレスの人がいました。

母親もそういう人と交流を持つことを何も言わず、「それで食ってる人の話は本物だわ」とケラケラ笑っていたのは、ほんの10年前の話です。

でも、私が大きくなると、公園でホールレスを寝かせないようにベンチの真ん中には手すりがつけられました。駅でも公園でもホームレスを見なくなりました。橋の下のビニールシートもいつの間にかなくなっていました。

彼はどこに行ったのか。ザリガニ料理のお店を出して一儲けしたのならそれでいいですが、でも私はどこか、この綺麗な街で、ただ彼は見えないところに追いやられてしまったのだと感じています。


山崎まさよしさんの”one more time, one more chance”がとても好きです。いつ知ったのかわからない、意識せずとも聞いたことある曲で、新海誠監督の「秒速5センチメートル」を見たときに、「この曲知ってる」と思ったのを覚えています。
あの音楽を聴くと、原風景を思い出し、懐かしさに心が締め付けられる人は沢山いると思います。

その曲の歌詞に「桜木町」が出てきます。「桜木町」。どこにあるのかも知りません。見たことないその町の風景は、彼の音楽の中だけで繰り返し想像され、冬の肌を指すような張り詰めた空気と、もう交わらない人生を送る、記憶にはないはずの誰かと過ごした憧れと懐かしさの町として、何度も再生されました。


しかし、つい先週。バイト先の人たちと旅行に行った時、初めて桜木町に降り立ちました。


それはそれは立派な駅でした。
歩く歩道とロープウェイ。大きなショッピングセンターと広場。幾何学模様の天井。笑っちゃうくらい、完成された駅でした。




古いものを壊して上へ上へと登ろうとする人間の浅ましさはリアルです。私はそれを受け入れているし、好きだとさえ思う。でも、私は、桜木町で起こったことがどうも許せなかった。手すりがある公園のベンチも許せなかった。現実的じゃないと思った。見た目ばっかり綺麗にすんなよ。って思った。それで誰かを追い詰めて何がしたいんだよ。って思った。


私が日高屋が好きなのは、人が頑張って在ろうとした形からは外れた、本来の自分勝手で汚い自分でいることを許す、完成された空間だと思うからです。

他人に優しくするべきで、ありがとうはいうべきで、人に迷惑はかけてはいけなくて、食べ物に感謝するべきだけど、そんなことしていられない時だって人にはある。それができない時だって人にはあります。

綺麗で在ろうとする人間は好きです。でもそうじゃない時期にいる人を非難する人間は苦手です。非難できてしまう人は、そうじゃない時期を知らない人生で、幸せだなあ、いいなあと思う。日高屋は、そうじゃない時期にいる人のシェルターなのだと思う。なぜなら、日高屋は、優しくないから。ありがとうを言わないから。人のことを思ったら、もっと店内を清潔にしているはずから。

400円で400円のサービスを提供している。400円しか払っていないのに、笑顔で丁寧な接客なんてされてしまったら、罪悪感で2度といけなくなる。こちらも安いお金しか払いません、だからあなたもそれだけの熱量で、それだけの味を提供してください、と、そう思う。

これは究極の優しさだと、私は思う。

人間の汚い部分を、そのものとしてただそこに”在る”ことを許す日高屋が、チェーン店として日本中にあることは、この社会の希望だ。


でも、変わらないものなんてないようで、この前、私のバイト先近くの日高屋がタブレット注文になった。
「中華そば一つ。」で頼めたものが、なんだかたくさんボタンを押さなくちゃいけなくなった。
家の近くの日高屋は、外国人がなんだか減って、研修中の高校生っぽい子にペコペコ頭を下げられた。

時代の流れを意識するなら、日高屋の社長さん、プレミアム日高屋を作って、そこでは時給2500円でその子を雇って、味付け卵をもう一つ載せただけの中華そばを850円で売って、私のこの日高屋は、そのまま時代遅れの化石として、しんどい時期の人間のために、残しておいてはくれないだろうか。



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