勉強の大切さ


大好きな野球が最近盛り上がっていて、毎日ウッキウキです。

みなさん、こんばんは。

堅揚げポテトです。


実は私、3年間塾講師としてバイトしていまして。
最近県立高校入試が終わり、自分としても大学四年生になって資格勉強、卒論、就活が本格化していくので、今年度で区切りをつけようと思っていました。

そんなこんなで3年間、受験生たちに「勉強」を教えてきた中で、「勉強」ってなんのためにするんだろう「頭がいい」ってなんだろうと、色々思うところがあったので、今日はそれについて書いていこうかなと思います。


早速、「勉強」はなんのためにするんだろう、ということですが、よく格言的なもので聞くのは、「将来の選択肢を広げるため」ってやつですかね。


まぁさすがに個人差はありますが、
勉強はやればやるほど結果が出ます。
やった分だけ身につきます。


故に、学力が現代社会の中では1番わかりやすい、その人をはかる尺度になっています。

もちろん、学歴だけで人は判断できないのは大前提です。ですが、結果で能力がわかりやすい、比べやすいが故に、そう扱われています。

なので、勉強をすればするほど、いろいろな場面で「選ぶ」ことができるようになります。

やはりわかりやすいのは入試ですよね。
高校も大学も、自分の学力で行ける範囲の進路に進むことができます。学力が高ければ高いほど、進路を「選ぶ」ことができます。


でも、この「勉強は将来の選択肢を広げるためだ」理論は、あくまで学力、もとい学歴は「今の社会の中で、ある程度の暮らしを営むために必要なチケット」なだけであって、社会人として軌道に乗ってしまえば、そこから先は身につけた知識は要らないという寂しい結論を暗に表しています。

実際に、塾で生徒たちに一生懸命教えていた英文法や数学の公式、化学式、世界中の歴史など、高校を卒業してから、まぁ使ってません。
強いて言うなら歴史くらいですかね。
ただそれも資格勉強が終わったらおさらばだと思います。笑


まぁ実際そのようなことがあるので、それに気づいちゃう小学校高学年あたりから中学生にかけて、
「勉強なんてやっても意味ねぇや!」
って意見が増えてくるんでしょうね。


じゃあ本当に意味ないんでしょうか?

そんなことはないと、みなさんもわかっているはずです。
勉強はしないよりはした方がいいんです。

でも、うまく説明できない結果、勉強した方がいい理由を、「将来困るから」だけで片付けてほしくないと思っています。なんかもったいないです。


僕は、勉強で身につけるのは、公式や単語、文法などの知識ではなく、

それらを応用する思考力

だと考えています。

例えば「数学」

答えは必ず決まっていますが、それに辿り着く道のりは何通りもあります。その、何通りもある解法の中から、最も良いものを選び、遂行し、答えに辿り着く。この考え方を養っているのです。

絶対いろんなところでこの考え方使ってますよね。
例えばどこかに行く時であれば、徒歩で行くのか、自転車で行くのか、どこを通っていくのかなど、何通りもある中から最短ルート、もしくは最短時間で目的地に辿り着くよう考えます。

他にも「社会」「理科」であれば、主要な出来事や人物、特徴的な地形や気候、産業、憲法や三権の仕組み、化学式や生物の構造、物理の公式や法則、天体の動きなどを知識として得る中で、単に記憶するだけでなく、その記憶した知識同士を共通点で紐付けたり、はたまた特異点で区別したり、共通した流れや特徴から知識を引き出したりする思考力を養うことができると思います。

他にもそれぞれの教科にそれぞれ必要な思考力があり、それらを勉強によって養うことができます。


そこで私が最も重要だと思うのが、「国語」です。

国語では、論理的思考力を養うことができます。

簡単に言うと、

自分の意見をわかりやすく、かつ説得力を持って相手に伝える、述べることができる能力

です。
国語ができる人は、この能力が高いと思います。

なぜ筆者はこう述べたのか
筆者が1番言いたいことは何なのか

論理的に書かれた文章の中から、このような点を的確に捉えるためには、自分自身も論理的思考力を持っていなければなりません。

評論文だけではなく、小説文の中でも、論理的思考力が必要です。

よくある、この時の〇〇の心情として正しいものを選びなさい、という問題では、

「この登場人物はここでこのように言葉を発していて、このような状況にいるから、その時点の心情として適しているのはこれだ」

というふうに、感情移入して自分の基準でこう感じるだろうと答えるのではなく、その文章内で明確に発せられているセリフや、使われている表現技法などを通して、答えに説得力を持たせることで、適した答えを選ぶことができるようになります。


国語をなんとなくやっていた人、多いと思います。自分もそうでした。

なにせ、日本語で書かれている少し難しい文章を読んで、それっぽいと感じるものを選んだり書いたりすれば、それなりの点数が取れちゃいますから。


でも、論理的に話したり、聞いたり、読んだりする能力って、社会に出ればめちゃくちゃ必要な能力ですよね。それが養えるとなると、国語ってとっても重要だと思いませんか?

さっきからなんか国語ばっか推してますが、どの科目で養われる思考力も、とっても重要です。あくまで僕が、最も重要だと感じただけであって、人それぞれすでに身についていたり、欲しがっていたりで、それぞれの重要度は変わると思います。

ここまでずらーーっと、自分が考えていることを書いてきました。

書いてて思ったんですが、これを学校で勉強している世代にわかってほしいと言っても、多分無理ですよね。笑

勉強がめんどくさいのには変わりありません。笑

ただ、我々のような、学生という身分から、そろそろ社会に出て社会人として働く世代の人たちに、自分が今までやってきた「勉強」はしっかりと自分の中に力として身についていて、これから先も無駄になることはないと思ってもらえてたら良いのかなと思います。


今日も長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございます。

これからもよろしくお願いします。

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