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被災して不寛容だった私
13年前の東日本大震災では、地元は震度6弱の地域だった。
しかし、メディアからはほぼ無視されていたし、土壌と水は放射能物質で汚染されているしで、自分、かなり荒んでいた。
当時、盛んに言われていた「絆」というキーワードが大嫌いだった。
絆と言われても、ガソリンを買う車の行列が短くなるわけでないし、ライフラインが早く復旧するわけでもない。
絆言ったって、うちの県は放射能汚染地域扱いで、その後何年間も旅行来てくれなかったし農産物買ってくれなかったじゃん。
そういう意味で、ガルパンおじさん達が大洗に来てくれたのは涙が出るほど嬉しかった。
そして、応援イラストも嫌だった。
今でこそエンターテインメントが震災の復興に重要な役割を果たしているが、東日本大震災の頃は、アーティストの皆さんには無力感に苛まれていたと聞いている。
試行錯誤の中で、自分たちが被災地のファンを勇気づけるためにイラストを描いて発表するのは頭では理解できるしありがたかった。
応援イラストに勇気づけられた人が多いのは分かっている。
でも心では嫌だった。
自分の好きな作品でさえ、応援イラストを見て腹を立てていた。
書かれたメッセージだったり、絵柄についてだったり、とにかく全てに苛ついた。
つまり、応援イラスト自体に全く罪はなく、当時の自分に全く余裕がなく不寛容だっただけなのだ。
大好きなゲームですら起動できず、震災情報だけチェックする日々。
………
今でも当時の応援イラストを見ると不快になる。
イラストに対して不快なのではなく、当時の腹を立てている自分を思い出して不快になるのだ。
だから今日は震災の話題よりアカデミー賞受賞のニュースを追いかけている。ゴジラ-1.0視覚効果賞受賞すげーよ。
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