【決定版】服を着る理由

今日は暇だった。朝(12時)に起きてご飯を食べ、風呂掃除をした。
風呂掃除は濡れるから、服を着ないほうが合理的だ。しかし、それでは、自分が風呂に入るのと同じ格好になってしまう。普段風呂に入る格好をして風呂に入ってしまうと、風呂側も風呂に入れてあげる心構えをしてしまう。今日は、こちらが洗ってあげる番だから、今日はリラックスしてほしい。14時だし。服を着て風呂掃除をすることは、風呂に対してこちらが今日は奉仕者であることを示すドレスコードである。着る服を選ぶ時に言われる“TPO”の時・場所・場合は、時と場所が決まれば場合はだいたい絞られているから、TPだけで十分という説を(心の中で、特に左心室の中で)ずっと提唱してきたが、TPOのOが輝く瞬間が訪れた。時:昼、場所:自宅の風呂でも、場合:風呂に入る、の時の格好は「裸」で、場合:風呂掃除、の時の格好は「服を着る」が正しい。
そして、服を着るのは別の意味もある。窓の外を歩く人に見られても大丈夫な状態になれるという点だ。今日は暇だったので、ホテルでもらっていたクシを見つけて、髪を七三分けにしてみた。道を歩いていた人が、開いた窓をチラと見たら、裸の細男・七三分けが立っていたなんてことがあったら、その人にとって今日が「道を歩いていたら裸の細男・七三分けを見た日」になってしまう。だから僕は、パンツを履く。道を歩いていて、パンツを履いた七三分け細男を見た人も、その後に10年来の親友とばったり会ったら、今日は「10年来の親友にばったり会った日」になるだろう。パンツは股間と日常を守っているのだ。

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