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ネットで望む自己の物語と齟齬

インターネットで人生変わった。ブログで人生変わった。SNSで人生変わった。Twitterで人生変わった。VRChatで人生変わった。
と、テクノロジーの進化で人生は良く変わるものである。携帯で人生変わった人もいるし、ポケベルで人生変わった人もいる。固定電話で人生変わった人もいる。

ただ昨今、情報技術の進化で幸せになれるのか懐疑的に思う人が増えてきていると思う。まあ確かに、便利ではあるが幸せになっているのか即断できないのは何かしら自分自身の中で納得できていないからであろう。
炎上や極論が増えたインターネットは何が足りないのか。
論文、IR、商品レビュー、技術ノウハウ、情報のやりとりは発信者・読者の齟齬が生じてもただのすれ違いで終わる。読者が”理解できない”で終わる。
ただ、インターネットはこれだけじゃない。

双方向。やり取り。会話。
インターネットでは望んだ物語があるような幻影が見えてしまう。
人と人の関わり合いは本能が欲求している幸福剤みたいなものだからだ。
しかし、人と人の関わり合いは単純ではない。自分が欲しい物語を作ろうとすると齟齬が生まれやすくなる。
何者かになりたい者、なろうとする物。話したい人、話したくない人。不特定多数の発信受信需要供給が混ざり、着地できない物語が増えていく。

情報は増えた。しかしその人に必要な物語は増えたのだろうか。mixi,Twitter,Facebook,等の各種webサービスは物語が生まれるようなきっかけを考え実装しているが、結局人頼り。齟齬を生み出しやすい関係性からは物語をずっと作れない。

次のインターネット・SNSのブレイクスルーは、自動物語生成サービスから生まれると考えている。最初はインターネットで完結してしまう小さな物語かも知れないが、徐々に現実まで広げていき、自己と向き合った物語のサービスが増えていくのではなかろうか。
渇望した物語の提供。幸せな夢。幸せの現実にしていくまで、情報技術が進化していく事を望む。

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