脳天直撃するラブコメはあと何回俺を殺すのか
表題の通りです。素晴らしい物語は歓喜そのものであり、良薬である。
ただ良薬も摂取しすぎると毒となるのは世の理。
フォースの均衡が大切なのだパワダン・・・。
このnoteは"かぐや様は告らせたい"が脳天にブッ刺さって心を乱している自分自身を律するために書かれた文章である。
ラブコメの攻撃力
ラブコメが脳天に刺さると何故想像を絶するような衝撃が疾走るのか。
俺はラブコメは"アサシンの様に突然ブッ刺すから"だと思っている。
ラブコメというものは笑いを生み、恋愛から遠ざけ、はぐらかすものだ。
物語の冒頭はコメディ。ここで読み手(俺)に大きな隙が生まれる。
いつだってそうだ。"らんま1/2"だって最初はアクション漫画だと思ったし、あだち充は野球漫画だと思ってた。"シュタインズゲート"だってSFが良いノベゲーだと思ってたし、"だがしかし"、"かぐや様は告らせたい"はただのギャグ漫画だと思ってた。そうやってラブコメだと思わずに読み進めていた己の隙。これが急所を突かれる事に繋がるのである。
脳天にぶっ刺さるとどうなるのかお教えしよう。暇さえあれば作品の事を考えてしまう中毒症状に陥ってしまうのだ。
”あのシーン最高だったよね” ”あの掛け合い最高だった”という漫画回想がずっと脳内流れてる感じ。作品との良い距離感が取れていない状態である。頭で分かってるんだけど止められない。超疲れる。言ってる事とやってる事が正反対、まさに作品に対してラブコメしているような状態に陥ってしまうのである。
現在、俺はこれを止められる術を見出しておらず、ただただ時が過ぎていくのを待つのみである。
ラブコメとの遍歴
ラブコメというジャンルをまだ知らなかった頃、ラブコメと邂逅したのは多分小学校4年生位の時だろう。それまで読んでた漫画はコロコロか、親を引き込んで単行本を買っていた名探偵コナンとかだったのだが、漫画読解力が上がったのか祖母の家にあった叔母のマンガ棚に興味が湧いた。叔母も母も嵌っているようだった”いたずらなKiss”を勝手に読み始めたところ大ヒット。脳みそにラブコメがぶっ刺さったのである。
しかし当時小4男子。いたずらなKissを語り合える友達などいなく、布教するにも漫画本は祖母の家。小遣い制ではなく、欲しいものを親に頼み都度交渉するような状況だったため、500円という微妙な金額ラインを都度頼んで漫画を購入して貰うのは結構ハードルが高かった。でも叔母の漫画棚はかなり充実していたので漫画に飢えることは無く有り難かったのを覚えている。今思うと名作ぞろいの激選棚であった。(息子と甥っ子の為に、今から実家の本棚整理しとこうかな・・・)
いたずらなKiss/うる星やつら/らんま/1ポンドの福音/タッチ/ショートプログラム/
上記は叔母棚にあったラブコメである。たしかこれらで中学校入るまでコミックライフを楽しめてたと思う。しかし中学生から小遣い制が始まり、好きな漫画を買い始めて日常的なコミックライフを満喫できるようになったのだが、逆にジャンプ系冒険漫画に資金を投入していたためラブコメからは遠ざかっていた。
あと単に情報不足があった。妹もラブコメ漫画から遠ざかっており、叔母棚も更新されないため、情報が90年代で止まっていたのだ。家にはインターネットが開通していたが、検索するにもShockwaveゲームやFlashアニメで"おすすめ ラブコメ 漫画"などという発想など頭の片隅にも無かった。
そう、常にラブコメに飢えている訳ではなく、逆にラブコメに対して身構えている自分がいるのだ。中毒症状を知っているので尚更である。ラブコメは嵌ると現実逃避しすぎて現実に戻れなくなるほどヤバイ。これが中学生時代のラブコメの理解であり距離感であった。
高専時代。積極的にラブコメを摂取し始める。私生活に恋愛要素が全く無かったので物語で補完していこうとするオタクあるあるに突入した。ああっ女神さまっ/護って守護月天/ラブひな/かんなぎ/謎の彼女X/ハニカム/秋★枝/
挙げればきりが無いが、なかなか面白く充実したコミックライフだったと思う。しかし暗器で刺されたような、突如脳天にラブコメがぶっ刺さる衝撃は少なかった。高専時代が恋愛要素以外は充実していて、特に現実逃避する必要が無く、思い切ってラブコメ作品に突っ込めたのが良かったのだと今思う。
社会人になって現実逃避欲求が顔を覗かせる。そして俺は、ラブコメからちょっと距離を置いた。
それがいけなかった。まんまとシュタインズ・ゲートの牧瀬紅莉栖にぶっ刺されたのである。そして声優繋がりでアイマスアニメを見て、ラブコメではないが作品にまたぶっ刺さされて大変な中毒時期へと突入するのである。
一度刺されたらある程度の時間耐性が付く。しかしある程度なのだ。
"シュタインズゲート及びアイマス事件"から4年後、"だがしかし"に刺され、
その4年後"かぐや様は告くらせたい"に刺される。懲りない男である。でも次の4年後、刺さる作品が来て欲しいと心から願っている。本当に懲りないな。
素晴らしい物語は歓喜
結局のところ、中毒性が高いからと言ってそもそも近づかないのはナンセンスなのだ。物語と読み手の真剣勝負。中毒になるときは潔く中毒になればよい。素晴らしい物語と出会うためにはこの覚悟が必要なのである。
脳天直撃するラブコメはあと何回俺を殺すのか?
何回でも良い。潔く死のう。素晴らしい物語そのものが歓喜であり、人生への良薬なのだ。
最後に
"かぐや様は告くらせたい"のアニメ2期待ってます。実写映画化はとりあえず気絶しときます。漫画が完結してもスピンオフあったら嬉しいです。
頂いたサポートは作品制作費に使わせて頂きます。どうぞ応援よろしくお願い致します。