減量苦騎手列伝2 橋本広喜騎手

減量に苦しめられる職業の一つに「騎手」があります
吉永正人騎手(当時)が「雨の日に、帽子のひさしから落ちてくる雨水が本当にうまい」と述べた話は有名です

以前から書きたかった「減量に苦しむ騎手の話」
本当に苦しんだ騎手からちょっと笑える騎手まで
どこかで読んだ雑誌の記事や出典がハッキリしない記憶を頼りに書いてみたいと思います


橋本広喜騎手

1991年騎手デビュー

「いくら食べても太らないんです」

この趣旨の発言は橋本広喜がインタビュー等で実際によく行っていた

デビュー当初は藤沢和雄厩舎所属・岡部ラインの5番手(※)と相当恵まれた地位に居てメディアへの露出も多かったから上記の発言を覚えている方も多いのではなかろうか
(※:本稿とは関係無いが1番手を岡部幸雄とすると2番手・3番手が柴田善臣・田中勝春クラスで4番手が坂本勝美)

そんな「いくら食べても太らない」はずの橋本広喜が何故このようなタイトル(減量苦騎手列伝)で登場するのか

「デビュー時はイイ馬乗ってたけどそれほど勝つワケでもなくいつの頃か藤沢厩舎との縁も切れて岡部ラインからも外されて腕相応の地味な騎手になり気付いたら引退していた」

これが多くの競馬ファンが橋本広喜に対して描いている薄らボンヤリとしたイメージではないだろうか?
デビュー当初の冒頭の発言と騎手晩年の影の薄さ故「減量に苦しんでいた」事実すらあまり知られていない可能性すらある


さて
「いくら食べても太らない」はずの橋本広喜ではあるがデビュー間もない頃に49kgでの騎乗経験はあるものの決して軽ハンデで必ず名を連ねる騎手ではなかった
元来48kg・49kgで騎乗出来る騎手は少ないため必然的に顔ぶれは固定されるのだが其処に橋本広喜の名は無かった
なので「いくら食べても太らない」というのがどこまで真実だったのか疑問ではある

後に明らかになった事だが橋本広喜は腎臓結石を患っていた
筆者も腎臓結石持ちで医者からよく「(石を体外に出す為に)水をたくさん飲みなさい」と言われるので橋本広喜も同様の行動は取っていたのだろう
しかし53kgで騎乗出来ない程まで水を飲むのは如何なモノか
現に騎手晩年の橋本広喜は公表負担重量53kgのところ体重調整が出来ず53.5kgでの騎乗という負担重量超過事故を数度起こしている
それどころか(真贋不明ではあるが)危険な利尿剤に手を出し副作用の激しい排尿痛と性機能不全に見舞われ妻から止められたという伝説もある

この負担重量超過は上記のとおり橋本広喜が既に往年の活躍から遠ざかり地味な存在となっていたが故あまり知られていないと考えられる
なので冒頭で「何故このようなタイトル(減量苦騎手列伝)で登場するのか」と書かせていただいた

こうして「いくら食べても太らない」という騎手としては理想的な体質であったはずの橋本広喜は腎臓結石に伴う水分摂取が災いし減量苦騎手となったのである

余談ではあるが騎手引退後調教助手となった橋本広喜の姿は度度競馬雑誌等で見ることが出来たが果たして本当に「いくら食べても太らない」のかどうかは大いに疑問が残る顔立ちであったことは申し添える

2020年12月13日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?