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自分の基準で自分の好きを楽しもう

最初は、好きだから、得意だから、何か気になるからこだわる。気がつくと対象に対する知識と経験と物が積み重なってマニアになっている。

そのこだわる対象自体に優劣や善悪はない。正確に言うと基準を設定すれば、優劣は存在するし、知識や物の使い方次第で善悪は存在する。当然、それは絶対的ではない。基準が変われば優劣も善悪も逆転するようなものである。

まず優劣について、役に立つ分野であれば優れていて、役に立たなければ劣っていると考える人もいる。人が好きでしていることを、他人が勝手に有益かどうかを判断して、勝手に優劣をつける人がいる。意味があるかどうかを決めるのは、本人である。どんな事でも、人と違うこだわりは、新しく変であり受け入れられにくい。好きなことは、自分の基準で楽しんで欲しい。周りが勝手に評価するのは、本当にかんべんして欲しい。ちなみにに、携帯電話にカメラ機能を付加しようとした開発者さんは、最初全く受け入れられなかったらしい。今となったら信じがたいが。

次に善悪についてだが、これは、使い方次第で起きる結果、楽しい方向に向かうこと(又は悲しい方向に向かうのを止めること)を善、反対が悪と考えている。そう単純ではないと理解しているが、方向としてマニアックな知識も犯罪に使えば悪であり、犯罪を防止するために使えば善と考えてる。見事な包丁捌きも、料理に使えば人を楽しませ、傷つける事に使えば人を悲しませる。料理が得意な女性が自分の夫のため、最初は健康的な料理を作っていたが、夫の裏切りを知り、不健康な料理ばかりを作って夫をメタボにしてから離婚したという話を聞いたことがある。料理の知識や能力を善意で使うか、悪意で使うかの事例として興味深いなと思った記憶がある。

いづれにしても、自分の基準で自分の好きを楽しむことが一番と思う。