見出し画像

マニアの行動は変であるが新しい。だから先駆者になる。

 新しいことは、今までに無く、他とは異なっている。だから、普通ではなく異常なことである。他人の受け売りや他人の真似をしても新しくはならない。今までにない要素が必要である。普通ではない、変なこと、異なる要素があって初めて、新しいことになる。だから、新しいことをする先駆者は、普通ではない変なことをする人である。例えば、漢方の始祖は、効能を知るために草を食べて実証したと聞く。漫画の神様・手塚治虫は、漫画を描くことが非難される戦時中に、空襲警報により誰もいなくなった学校で邪魔されずに漫画を書けることを大いに喜んでいたらしい。
 マニアは、ただ興味の赴くまま行動しているだけかもしれないが、変なこと、違う事、そして新しいことを実践している。特定の分野において、価値があるかないかは考えず、自分の基準で、自分の思いで行動し、知識と経験を積み上げていく。周りの評価もあまり気にしない。というよりは、気にしても行動する。正しいか正しくないかは後回し。意味があるかなんて考えたら新しいことをするのは難しい。だから、マニアは、新しいことに挑戦できる気質を持っていると考えている。たぶん、何か特別なことをしているといいう意識はない。でも、このようなマニアの性質を持つ人こそが、新しいことに手をつけ、具体的な結果に繋がると先駆者と呼ばれるようになる。もちろん、マニアがすべて先駆者になるわけではない。マニアになって新しいことに挑戦したが、社会的な認知まで広がらず、単なるマニアな人も多数いる。
 しかしながら、先駆者はマニアである。これは確実と考えている。マニアが先駆者になる過程には2種類ある。趣味で特定の分野の豊富な知識を持った人が新しいことに取り組んだ結果、先駆者になる。ニッチな分野で、趣味が高じて仕事になっている人は、このパターンに当てはまると考える。例えば、カレーが好きでよく食べ歩くカレーマニアが世間的に知られていない味のカレーが素晴らしいと広め初めたとする。それが世間的に認知されブームになると、そのカレーを広め初めたこのマニアは先駆者である。
 もう一つのパターンは、新しいことに取組む必要に駆られた人が、関連分野を調べているうちにその分野のマニアになっている場合である。仕事や学問において、発見や開発で成果を出している人が当てはまると考える。例えば、ある会社の食品開発部門の人が、新しい味のカレーライスの開発をすることになった。そのため、古今東西のカレーを食べて研究して気がついたらカレーマニアになっていた。そして、他にない味の製品を開発し販売したとする。それが普及すれば、この開発者は先駆者となる。いづれにしても、先駆者と呼ばれる人は、その分野のマニアである。
 このように、マニアのもつ「ある分野の知識を徹底的に身につけようという行動」と「興味あることをとりあえずやってみようという意識」が、先駆者に繋がる考えている。変な人の変な行動も変な言動も広まれば先駆者となる。まあ、広まなければ、ただの変な人ではあるが。
 最後に、僕は、変なことに気づく人や変なことができる人は、素晴らしいと思っている。こうゆう変な人のおかげで、新しいものが世の中に産まれていると考えています。