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変えるべきは世界か自分か

noteくんに「6月30日までに投稿すれば連続投稿が7か月になりますよ」って言われたので、なんかそう言われると繋いでおいた方がいいか…みたいな気になってきました。
ので、最近ふわふわと考えていたことを書いていきます。思考メモです。
(追記:書き始めたは良いものの、普通に間に合わなかったので当初の目的は果たせませんでした。)

自分と世界

自分のまわりには世界がある。世界というか環境というか、自分という線引きより外側の領域みたいなイメージ。(哲学とか心理学とか全然知らないのでどういう表現をしたらいいのか分からないが)

何をするにも、「自分」と「世界」の両方の要因によって結果が転んでいくんだなと思う。
ここで言う「世界」という言葉にはいろんなものを含んでいる。周囲の人間、その人達との関係性、場所、タイミング、場面などなど。
「自分」以外の全てが「世界」であるのか、「世界」のうち、手が届く範囲だけを切り取ったものが「自分」であるのかは分からない。

昔からこれに近いことを考えていなかったこともないが、ヘッダーにも使用しているRewriteを少しプレイしたことと、このあいだU149の始めの方をちょっと見たのと、ぼっち・ざ・ろっくを見返していてまた考えがぶり返してきた。

U149アニメ第3話

U149のアニメ第3話冒頭にて、宿題をやっている結城晴が「答え教えてくれよ」と橘ありすに話しかけ、それに対して橘ありすは「それでは宿題の意味がありません」と返答するシーンがあった。

これ、全く同じことを自分も中学1年の5月にやったことがある。
数学の宿題を見せてほしいと言われた中学生ベガスは、アニメの橘ありすよろしく「それでは宿題の意味がない」という旨の返答をした結果、ちょっと周りより勉強が出来るからって調子に乗ってるやつという烙印を押され、見事にクラスから1年間ハブられた。

(ちなみにU149では全くそんなことはない。)

これは「自分」側の行動としては同じようなものだが、転んだ先の結果が異なった事例である。
そもそも、この突き放すような返答が最良であるのかという話もあるが、自分と相手のどちらが良い悪いという100:0の話では語ることができない。
自分の事例と橘ありすの件において大きく異なるのは、この返答を受ける人間の内面や、その人間との関係性、信頼性である。

服装において、ドレスコードやTPO等による「自分」と「世界」の適正の度合いがあるが、人間同士のコミュニケーションにおいても同様の形態で成り立っている。
要は、自分の言動と周囲の世界にすれ違いが生じたために会話が成り立たず、関係性が破綻してしまった。

ぼっち・ざ・ろっくアニメ第2話

ぼっち・ざ・ろっくアニメ第2話こちらも冒頭にて、ぼっちちゃんが秀華高校を選んだ理由が語られた。
学校の話!!略してガコバナ!!!
県外から片道2時間かけて秀華高校に通う理由は、過去の自分を知らないところに行きたいからであった。

これ、ほぼ同じことを自分もやったことがある。
自分の場合は同じ都内での通学ではあったが、実家は目の前が他県との県境、通学には一時間半以上かけて高校に通っていた。
充実した施設や高校の立地の良さという理由も加わり、とても都合が良かったというのもあるが、大きな決め手は地元からそれなりに距離が離れていることと、自分のいた中学校の平均的な学力レベルから離れていることだった。

これは、行動の主体は「自分」にあるが、目的は自分の周囲の「世界」を変えるというところにある。
自分の高校選びは結果的に正解であり、宿題を見せないことで学力を僻まれてハブられることもなければ、球技大会のバスケットボールが顔面ドッジボールの乱闘になることもなかったし、クラスの男子の半分が喫煙者ということもなく、快適な学校生活を獲得することができた。

「自分」の変化だけでは状況を好転させるに足りない場合、あるいはもっと手っ取り早い解決を望む場合、「世界」を変えることで適合する可能性がある。
(あくまで可能性でしかない。再構築した「世界」が「自分」にとって必ずしも良いものになるかどうかは分からないし、両者の齟齬の原因の大半、あるいは根本が「自分」にある場合は解決に至らない確率が高くなる。現に後藤ひとりは学校生活という点において、秀華高校入学という手段で劇的な解決を得られていない。)

後藤ひとり

上記に語った自分の過去の問題については、「世界」を変えるための行動で解決に至ったが、後藤ひとりについてはそうではなかった。
結束バンドを結成し、STARRYや路上、文化祭でのライブを経て成長していく姿は描かれているものの、ここに至る大きなターニングポイントは虹夏に誘われたことであり、”離れた学校を選ぶ”という行動が直接的に後藤ひとりの人生を変えたわけではなく、現にクラス内での人間関係の構築には大きな改善が得られていないように見える。(下北沢に通ったおかげで虹夏との邂逅を果たしたという点では秀華高校への入学が一つの要因ではあるが、本人主体の行動からの直接的な成果ではない。)

となれば、改善すべき点は「世界」ではなく「自分」の方である可能性がある。
彼女が認識している問題点は『会話やテンションを合わせられないこと』『過去の黒歴史』といった部分であるかと思う。これを解決するために学校選びという「世界」側の変化を望むのは理解できるが、何を問題点として認識するかという前提から間違っているのが後藤ひとりのパターンである。

そもそも、アニメの中では後藤ひとりに対する周囲のメンバーからの評価はそれなりに高いことが語られているうえに、絶望的に会話が成り立たないという印象はない。もっと会話のキャッチボールが壊滅的な人間はこの世に死ぬほど溢れている。
後藤ひとりにおける問題点は、周囲からの評価を気にしているくせに人前で自虐妄想世界への没入に耽ったり、ゴミ箱や段ボールに入ることを気にしなかったり、その他諸々の奇行をするという『客観視点のなさと認識のズレ』にある。

自己を客観視する能力の破綻

人間、生きていればそれなりに自らを省みることがあるはずである。
発生した問題を解決するには反省という道を通る必要があるからだ。
しかし、発生している問題を誤って解釈している、あるいはそもそも問題を認識していない場合は、その事象が改善に向かうことはない。

後藤ひとりを見ていて分かること(自身にも当てはまる自覚はある)だが、陰キャというものは、「自分」の性質からなるべくしてそうなっているというパターンが多いように思う。
『なんか周りとズレてる』というやつ。これこそ陰キャであり、これこそ自己客観視の破綻である。

会話におけるコミュニケーションのズレ、風呂に入らないオタク、服装がおかしい、SNSでのやばい言動、結婚相談所やマッチングアプリでの高望み、これらの問題は全て自己客観能力の欠落に原因があるように思う。

陰キャオタクの異常行動についての自覚がゼロであるかイチであるかに関わらず、自らがオタクコミュニティという人間社会におけるマイノリティに身を置いている理由は、マジョリティである一般人とのズレがあるからであるからだ。

そのズレを自覚をしたうえで、あるいは正しい指摘を受けたうえで、それでも「自分」を優先して現状からの改善をしないというのは完全に個人のエゴであり、その自己中心的行動を取るということ自体が、「自分」と「世界」の擦り合わせの拒絶に他ならず、それこそ陰キャオタクであるが所以である。

ある意味、自分の人間関係をオタクコミュニティ内で完結させるというのは一種の「世界」の構築の方法であり、それによって「自分」と適合させるという解決手段ではあるのだが、その狭い世界の中だけで人生を送っていくのは難しいものがある。
少なくとも、普通に社会の中で生きていくには(就職にしろSNSにしろ、多数の人間との交わりが発生するならば)どうしてもその狭いコミュニティの外側に踏み出さなければならなくなる。

しかし、その「世界」の構築で適合させた例が後藤ひとりである。

こと学校生活においては適合の成果が得られなかったが、自らの性質と才能はロックの世界において深く適合した。

マジョリティの「世界」を避け、「自分」を貫き通し、より快適な「世界」の構築を目指すことで、「自分」と「世界」の適合を図るという陰キャオタクの手法こそ、ぼっち・ざ・ろっくのキャッチコピーである『陰キャならロックをやれ!』の本質である。

ぼっち・ざ・ろっくは、ロックによる後藤ひとりの適合を描いた物語だ。

変えるべきは世界か自分か

ここまで長々と書き連ねてきたところで題名から引用した見出しとしたが、重要なのは「世界」か「自分」かのどちらを変えるべきかをその場面によって柔軟に判断できる思考であり、その適合を省みるために必要なのが自己客観能力である。

どうやっても「世界」との接触は避けられず、その中で生きていくしかない。

身近で少し具体寄りな例を挙げるとしたら、周囲の人間との協調性を意識出来るか、他人を尊重したコミュニケーションが出来るかという話になる。

自分としては、なるべく周囲の人間には迷惑をかけたくないと思っているので、自分を省みることだけは心に置いておきたい。
本当に自分勝手に生きていくと、将来的に何かが崩壊して自我と自己正義感が肥大化したモンスターに成り果ててしまう気がするので。
自分を振り返ることも、他人の行いを見て自分を見つめなおすことも忘れてはいけない。

結局のところ、本当に根っこの部分は変えられないのかもしれないけど、擬態でも建前だけでも備えておかないと、いつか本当に人間として見てもらえなくなるかもしれない。
そうなった時に近しい人達だけで構築した「世界」って、あまりにも地獄すぎると思うので。

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