夏に沈む春の濁り

私は春が好きだ。春のことを年中考えている。頰を撫ぜる間の抜けた風や、陽光にほっくりした土の匂いや、店頭に澄ました顔の桃色の菓子たちや、散歩するうちにコートを脱いでしまう瞬間のことを、私はずうっと考えている。ああまた季節は巡ってきたと、気だるい希望が満ちた僅かなひとときを、いつだって渇望しているのだ。
私は、私の中に思い浮かぶ光景を(あるいは私による感覚そのものを)、寸分の狂いもなく記憶し思い出すことができると信じている。春には五感や六感全てが、充分に機能していると感じる。
だのに夏は、わたしの意図しないところで、それらをあっさりと塗り替えてくる。春は夏の前では(文字通り)漂うような中庸に過ぎず、どんなに進んでかき混ぜたり、激しく振ったりしてみても、いつしか夏の下へ下へと沈んでしまうのだった。

春の象徴的な光景は、桜の下を自転車で疾走するときに見られる。咲き始めでも、満開でも、散り際でもよい。ピンクのふさふさした塊が近づいてきて、ひとつひとつの花びらの輪郭が見えて、純白と見紛う清らかさを露わにする。黒っぽいいかつい幹が支える花々は、日を透かしながら空を隠す。どこかで犬が鳴いていて、昼下がりの時間帯には車の走行音がそれをかき消すこともない。私は先を急いていて自転車を降りることはないけれど、10℃を超えた大気を吸い込んでその存在をよくよく確かめているのだ。
思えばこのことが既に、春は感覚の全てを使わなければはっきりと捉えることができないという、証左なのかもしれない。意識しなければ、場合によっては文字に起こさなければ、浮かび上がることがない、という。

そう、夏の鋭利さには勝つことができない!
夢にきまって登場するのは、朝方のひんやりした空気と、陰った空だ。場所は小学校だったり、栄えた駅前であったり、人里離れた山の中だったりさまざまある。行った覚えのない場所の様相を、なぜかくっきりと表現することができる。まわりには誰もいなくて、数時間後に迫る猛暑を予感させながら静寂が張り詰めている。見えすいた雲が腹立たしく熱を防いでいる。たったこの2つの要素だけで、私は「夏の朝だ」とハッとするのだ。早起きが苦手な私がそんな典型的な夏の朝をリアルの世界で経験したのは、夏休み直前の登校前とか、旅行先で早めに宿を出立する時とか、ごく限られた機会だ。しかも当時意識したり文字にしたりすることは一度だってなかった。国語の授業や日記で、しょっちゅう春を賞賛する文句を書き連ねていたのに対して、だ。
活発に動く生物たちが目覚め始める、動と静の狭間のようなあの時間は、私の脳みそに素手で触れてくる心地のする、恐ろしさと心許なさがあった。だから、夏の朝はこれからの楽しいことの前触れの光景であっても、あまり思い出したいものではなかった。月並みな表現を使えば、恐ろしさと心許なさとは、鞘に収められた鋭い刃と同じである。扱いを心得ない私には到底自分を傷つけるものでしかないのに、鈍い銀色の輝きにどうしても惹かれて引き抜いたりしてしまうのだと思う。
(夢の中に、好きな春が全く登場せずに夏のみが登場するというのは、単に就寝時の暑い寝苦しさを反映しているからだと思うが……あるいは登場しているはずの他の季節まで「夏」と捉えてしまっているのだろうか?勘違いするほど多くの各季節特有の濁りを、夏が内包しているのか?ならば夏は寄せ集めか、上澄みでしかないと言うのだろうか???)
でもそれならば灼熱の太陽で照らしてほしいと思う。あれはうるさくて仕方がない、わかりやすくて最も夏らしい。諦念でもって受け入れられるものだ。ギラギラした日の下で行われた出来事は、幼少期から今までで数多い。ならば夢の中でも、こちらの方を放送してほしいのに。

・小学校の部はだいたい午前中にやるので、我々はいつも7時、あるいはそれより前にも集合していた。「夏の朝」でやや湿った体育館に、平静を装う(それは私だけだったかもしれないが)音があちこちから聞こえ出す。第一声は温まっていないホルンのマッピのウォームアップだろうか。放課後の子供たちのはしゃぐ声も、陸上部の掛け声もなく、制服を纏った我々がいる。興奮と緊張がないまぜになっている。基礎練習とチューニングを終えて、B♭を合わせるときには皆真剣な顔つきに変わっているのだ。

・夏風邪上がりで、母親に車で学校に送ってもらったら、存外早く学校に着いてしまった。無論誰もいないガランとした教室だ。篭った空気は暑苦しく、急いで全ての窓を開けた。思えばあのころはエアコンなんてなかった。送り込まれる風は実に涼やかに感じられた。特にやることもなく、1人本を開き読む。窓は開けて良くても、電気は勝手に付けてはいけなかった気がする。だから、読書をするにはいささか暗く、でもそれがスイッチの入り切らない朝の気分を反映しているようで、しっくりくるものでもあったのだ。

・部室はいつでも寒かった。書き起こした原稿のデータを貼り付けるためにパソコンを起動するのだが、信じられないくらい時間がかかる。やきもきして、外を眺めたりしてみる。小さな窓が見せるのは向かいの図書館の屋根とどんよりした空だけで、なんの面白みもなかった。夏休みも間近の7月頭というのに、ここでは椅子も机も冷たくて、触れている太ももや腕がぎゅっと縮こまる心地がする。なんでもいいが、私は早くデータを入力しなければならないのだ。早くしてくれ。

夢なのかほんとうなのかわからないほどの映像に、頭は席巻されている。深層と表層に何が隠れているのか、それは私の知るところではなくなってしまった。

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