コンクールの近くなったある日に

「元弱小吹奏楽部員の記憶(5)」です。ここ最近災害並みの酷暑が続き、私が小学生の頃、ほんの10年前はこんなんだっただろうか、と首を捻っているところです。


夏至を越えた、ちょうど今の時期が予選大会のラストスパートだったはずです。私達は3階の音楽室から楽器を全て運び出し、体育館で練習していました。(ミニバスやママさんバレーで使うときは会議室へ移動)しょっちゅうあるホール練習の度に3階から運搬しなければならない手間を省くため、また残響を聞くという練習をするためでした。

体育館での練習は、言うまでもなく蒸し暑い中で行われました。まだ梅雨の明けない、まとわりつくような空気の中でしたが、あるだけの扇風機を持ち込んだり、皆水筒を傍らに置きグビグビ飲んだり、こまめに休憩を入れたりしていたので、「うぅ、暑いねえ」くらいで済んでいました。(今のこの酷暑じゃあ考えられないわな。下手したら数人倒れんぞ)

ハーモニーディレクターの刻むテンポが「カッコ、カッコ」と響き、先生が「ホルンさん、何小節目からお願いします」と言って、私達はそれを聞いている。全員で吹いて、気になるパートを取り出して練習して、全体で調整して、また進める。その繰り返しでした。テンポの音をずっと聞いていると、だんだん頭がおかしくなりそうになることがあったものです。以前は立派で大きなメトロノームを使っていたのですが、壊れてしまいました。ネジを回す必要もなく、テンポが落ちることもないハモデは、あまり情緒がないように思われました。

「はい、では10分休憩にしましょう」

ようやくハモデが切られて、硬い椅子から立ち上がる。とにかくケツが痛くて。うーんと伸びをして水道へ向かいました。

校庭で遊ぶ子供らの声や、ブランコが軋む音が風に乗ってやってきました。オレンジの光が蛇口に差し掛かっているのを見て、もう1日が終わるのかと思いました。これでもまだ、一年で一番日が長い時季なのです。時が過ぎるのはあまりにあっという間で、人間には振り返る時間などないということを、私は、既に分かっていたのだろうと思います。

喉を通る水は正に極上で、甘くさえ感じられるのが不思議でした。顔をばしゃばしゃと洗ったり、腕に掛けたりして、ポタポタ落ちる水分をシャツの袖で拭いました。向こうの扉から黄昏に染まった風が吹き込んできて、腕を冷やしました。頭の中も幾分すっきりして、体育館へ戻りました。

みさちゃんは初の試み、ゲシュトップの練習をしていました。小学生の手でベルを覆いきるのは難しいらしく、先生は代替としてコップの使用を提案していたのですが、彼女はコツを掴んで、手で塞ぐことができるようになっていました。あとは一発でピッチを安定させれば完璧だったのです。私はその様子を隣で聞きながら、辺りを眺めていました。いつの間に蛍光灯がついていて、白々しく体育館を照らしていました。他の子達は友達どうして窓辺で涼んだり、打楽器をいじったり、床にのびたりしているようでした。こうして、学年が違って”派閥”も存在して、気ままに過ごしている我々が、時間になると集合してとまって合奏しているというのが、毎度なんとも言えない気持ちになったものです。吹奏楽を部活としてやっていると、「学校は人間社会の縮図」という言葉を思い浮かべずにはいられないのだと思います。

この記事が参加している募集

部活の思い出