雨の音

雨の音を聞いていると、過去にあったはずの大切なことを思い出しそうになります。
また今年も私の大好きな5月がやってきました。5月はちょっとわがままな女の子みたいなところがあります。昼夜の寒暖差が大きかったり、日差しが眩しすぎたりするのね。こないだまで冬だった気がするのに、実は日がとても長いし。まだ5時だっていうのに空が明るくなっているのを見ると、朝だよ!と大声で叫ばれている気分になります。降ったり止んだりな雨が多いというのも、理由の一つな気がする。あなた、昨日まであんなに近づいてきていたじゃない。なのに急にフイッといなくなってしまうんだもの。でもそうして雨は暖気を奪っていって空気をシンと冷やしてくれている。彼女はとてもさっぱりした人で、そうしていろんなわるいことをリセットして、再びキラキラした笑顔で一緒にお話ししてくれるのです。
なんだこれ、俺の思い描く理想の女の子考えてるんじゃねえんだぞ。

小学5,6年生は鼓笛隊をやることになっていた。地元の町内には4つの小学校があって、そのうち距離の近い2校が合同で、毎年5月下旬にパレードを開催した。
2つの学校の間、町内を闊歩するわけだが、1~4年生や保護者はもちろん、老若男女地域の人もかなり沿道にたくさん集まるため、小さな田舎町にしては盛大なものだった。実際私も楽しみだったし、当日が近づくとどことなくソワソワしてしまっていた。

演奏する曲は長年同じもので、上級生が下級生に伝える構図をはっきりと見る事ができた。特に、指揮者とか、ドラム隊とか、フラッグ組だ。一応楽譜とか振り付けの流れの図はあるのだが、小学生が読むような細かさじゃないし、ほとんど口伝(体伝?)で教えられているのだった。少なくとも10年はそれでやってきているんだから、小学生と言えど侮れないものだ。教える側はちゃんと教えるし、教わる側もちゃんと教わる。なんか、社会人になってからの方が難しくなっている気がするな、そういうの。先生達もすごいよ。朝練や昼練をすることもあったが、あれは本来先生達の休憩時間だし、普通にやんなきゃなんない仕事もあっただろうに。「あなたたち、そんな出来でいいの?」「やっぱり先輩がいなくなったら全然だめじゃない」と叱ってくれるわけだ。私にそれができるだろうか、いやできない。
(ちなみに曲は私が6年生の時に変更された。もうあの曲を聴くことは出来ない)

吹奏楽部員は強制的に自分の担当楽器だったので、私はテナーサックスだった。目立ちたがりででしゃばりだった私は、指揮者に立候補できないことに不服を唱えようと思ったが、流石にやめたんだったな。
従って楽器を抱えて練り歩くわけなのだが、これがまあ重いのなんのって。いや、私はまだ良い方である。バリトンの子はほんとに首が死ぬんじゃねえかと心配になるし、チューバの子はただただかわいそうだった。(小さめのチューバに代えているとはいえ。あれスーザじゃねえんだよな、ユーフォでもなかったし。名前何て言うんですか?)ユーフォもそこそこヤバい。
しかも開催時期。5月下旬。毎年決まってカンカン照りの暑さだった。ちょうど今日みたいな感じだ。前日は雨が降って肌寒かった気がするのだが、そんなのは忘れましたと言わんばかりに、こちらの気持ちなぞつゆ知らず晴れているのだから憎らしい。つば広の帽子が唯一の救いだった。お隣の学校はベレー帽だったから。
終わった後に支給されたジュースが、天国みたいに美味かった。私は今でもそのジュースが大好きだ。


私の描く5月は、鼓笛隊のイメージをまとっている。眩しい白い日差し。若い緑。背中をつたう汗。夏の足音。ホイッスルとバスドラム。帽子の深緑色。まあ、羅列すれば切りが無い。断片的な映像が青空を見るたびに流れてくる。もう何年前の話なんだよ。